Scribble at 2024-02-12 11:38:17 Last modified: 2024-02-12 11:56:04

添付画像

How to Study: A Brief Guide (William J. Rapaport)

必ずしも「正しい」見解であるかどうかは分からないが、少なくとも「標準的な」見解として確立しつつあるのは間違いないと思う。なので、日本の哲学の大学教員の大半は教員免許すらもっていない素人(しかも、最近は塾や家庭教師のバイトすら経験がない金持ち坊や)であるからして、こういう常識はもっておくと良いはずだ。そして、冒頭に出てくる話でも分かるように、インチキ左翼みたいに「人にはそれぞれ個性がある」なんていう手前勝手な「個性」という観念でこしらえた錯覚を盲信したり、そういうデタラメな「個性」という観念に応じた教育方法とか情報の提示方法なんていう、さらに輪をかけたインチキな自称教育理論に依存して、アニメやイラストで哲学の概念や議論を表現すれば、それが最適な伝達手段であるような若者がいるはずだ、などと錯覚を起こしている編集者に教えてやってほしい。そんな人間はいない。

ただし、これは一つの learning だけが真であるとか万能であるという話ではないし、大昔のスパルタ教育や寺子屋の訓読が良かったなどというインチキ保守の話でもない。少なくとも、人には(どういうわけか)「個性」があって、それに応じた学び方があり、そういう学び方が物事を知ったり考えたりする最善の方法であるという、何重にも入り組んだ無根拠な思い込みや錯覚や偏見などを全て捨て去るべきだと言いたいだけである。

そもそも、教えられたり学んでもいないことを人は(好き嫌いや意欲のあるなしがどうであれ)実行できない。したがって、最低でも偏差値75以下の大学で教える教員は、学生が「勉強とはどういうことをするのか」ということについて、高校までにまともに教えられたり指導されていないという可能性を考えておかなくてはいけない。そして、同じことは学部生のレポートだとか卒論の指導においても言える。プレイジャリズムや生成 AI からのコピペを憂える人は多いが、そもそも自分たちの怠慢が学生をそういうところに追い込んだり、あるいはそうしたイージーな手段を選んでしまう状況を作っている可能性も考えたほうがよい。自分で考えてみるほうが Gemini の画面からコピペするよりも有意義な場合だってあるだろうとか、自分のよい経験になる(コピペする経験も、確かに経験ではある。それは認めたほうがいい)という説明もありえるわけで、それを学生に納得してもらう最善の方法は、やはりどう考えても教員自身が実例を示すことなのだ。

君ら自身が、たとえ「勉強とはどうやるのか」なんて考えたこともなく息をするように東大に入った暗記坊やや優等生少女であろうと、東大やハーヴァードに進学したていどの凡庸な人間はそれなりに自分たちがまともな業績も出していない科学哲学のプロパーであるという自覚くらいはあろうから、更に何をすればいいか考える筈だ。そして、そこで自分たちが何をしているかという実例を示せばよい。できなければ、それはつまり学生時代どころか学者になっても勉強してません、適当に英語の本を読んで論文書いてますってだけのことなのだから、学生に何かを教えることはできまい。それでも大学教員はできるが、そういう人々はまともな教育ができる可能性はないので、もし「弟子」が欲しいとしても、入学したときから既に研究者レベルの実務をこなすような、僕らのような人材が偶然に入学してくるチャンスを期待するしかないのだ。どれほど幼児語で哲学の教科書を書いたり、エロ本みたいな表紙のヘーゲル解説書を出版しようと、そんなことで哲学の素養を広めたりすることは断じてできないのである。それは、そういう通俗本に見合った若造が増えるだけのことでしかないのである。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook