Scribble at 2024-01-28 11:37:50 Last modified: 2024-01-29 13:21:29

考古学にも哲学や社会思想の影響があるのは、先日もご紹介したとおり、とりわけ日本では戦前の神道による影響というか強要や牽制に近いものが知られているし、戦後もマルクス主義やプラグマティズムによる「みんなの考古学」的な、実は public archaeology というよりも単なる通俗化・低俗化なのだが、そういう馬鹿げた影響もあった。そして、ここ最近のトレンドは、もちろん「プロセス考古学」にかかわる論争だ。あるいは「ポスト=プロセス考古学」と称するポストモダンっぽいアプローチ(実際にはただの主観主義や「考古学の文芸批評化現象」にすぎないと思うが)も含めての、メタ的な議論に対するスタンスをどう考えるかという話だと言ってもいい。

プロセス考古学と言っても、別に何か特別なことをやるわけではない。従来の考古学が "what" を記述することだけに専心したり、あるいは自らを抑制してきたのに対して、"why" を積極的に仮説として提案し、そしてそのスケールも大きくなる。たとえば、いま僕が調べている東大阪市の山畑古墳群について応用すると、古墳の計測や記録から言えることの範囲は色々あって、単に副葬品の馬具がどういう金属で作られたということしか言えない人もいれば、その金属がどこで作られたかまで他の遺跡の情報から推定できる人もいる。そういう記述的なステージだけでも考古学にはやることがたくさんあるのに、そういう地道な調査とか分析とか考察に耐えられないアマチュアとか、あるいは最初からそんな地道なことをやる気もなくて、すぐに神武天皇がーとか言いたがるバカどもは、手軽な妄想や想像に飛びつきたがる。要するに、考古学の素養など殆ど無い別分野の歴史学者とか、あるいは作家とか新聞記者が書きなぐるファンタジーの類だ。最近だと、それに輪をかけて全くの素人どころか、実は歴史になんて何の興味も関心も知識もないネトウヨまでが好き勝手に電子書籍をアマゾンなどで出版できるので、在日叩きやアイヌ叩きといった動機を裏書きするための好き勝手なストーリーを「歴史書」として出したりする。あの、保守を騙るインチキ構成作家とか、「元皇族」の三流学者なんかが書いてる歴史の本とかもそうだ。

プロセス考古学が提唱された際には色々な批判があったし、僕も基本的に批判した側に同感である。僕が原則として "why" を気軽に語ろうとする人々に弁えてもらいたいのは、考古学「だけ」では過去の人々の生活なり暮らしぶりから政治制度といったことは、決して分からないということだ。人がやることには、物的証拠が残ることと、その影響の結果すら物的証拠として残らないことまであって、実は僕らの暮らしぶりを知るための情報というのは、殆ど物的な証拠として残らない。したがって、この原則がある以上は、考古学だけでなく他の学問の知見を可能な限り導入してすら、わからないことはわからない。関連する情報や他の分野で確立した知見から推定したり外挿する他にないわけである。しかも、そうして或るていどの精度で推定できるとしても、せいぜい傾向が分かるていどのことでしかなく、具体的な事実までは確定できない。どれほど測定や分析や推測の精度が上がろうと、西暦200年1月28日の午前11時に、東大阪市の特定の場所で何が起きていたかは、どれほど物理主義者や決定論者の想像力がたくましくても、決して分からないのである(「もし過去の全ての情報が分かれば、~が分かる」という決定論者の原理主義は、前件が偽であるから、後件がどうであろうと常に正しいがゆえに哲学的にはナンセンスである)。

もちろん、一人の研究者として眼の前にある情報から構成できる一定の内容(「事実」と言うには程遠いかもしれないが)について、何らかの推定だとか推測を加えて、それが生じたり現代まで痕跡として残された事情なり原因なり理由を推し量ることはできる。そして、そういう個人的な仮説から別の内容を予測してみることもできるだろう。でも、それは「あくまでも私の意見だが」などと言い訳を書いたくらいで公にしてよいことかどうかは疑わしいと考えるのが、正常な考古学者なり学者の態度というものだ。僕は、こういう節度を多くのテーマについて守ってきたという点でも、森先生のスタンスを支持している。そして、それゆえにプロセス考古学に対する反動として生じた、ポスト・プロセス考古学という、解釈やらシンパシーやらヒューマニズムといった、青臭い(しかし仮説の建て方や前提そのものは非常に傲慢な)アプローチにもプロセス考古学と同じような知的未熟さを感じる。

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