Scribble at 2023-12-10 07:59:44 Last modified: 2023-12-10 12:27:42
テキストの構想という話は何度か言及しているので詳しく繰り返すまでもないだろう。そこで、文体について少し検討してみた。渕野昌氏が『自己隔離期間の線型代数I』(「前書き」の *16)で文体の話をしているけれど、僕にはあまり説得力がないと感じられたからだ。
一般論としてかなり雑に、です・ます調は柔らかな印象のある口語体であり、だ・である調は硬い印象のある文語体であるという対比が何の根拠もなく(あるいは既にそれらの文体がそれぞれの体裁の出版物で使われているという杜撰な理由で)説明されている。ましてや前者は女子供の雑な読み物に向いていて、後者は学術論文や官僚の文書に適しているなどという連想までさせる説明がオンラインにも数多くある。そして、そういう(僕に言わせれば何らかの sexism や「悪い」権威主義としか思えない)偏見を助長しているのが、出版社や印刷会社のサイトであるとか編集者・新聞記者のブログ記事なのである。
僕は MD でも述べているように権威主義者だが、無根拠で無謬の権威など(「神」のようなでっち上げも含めて)あるはずがないので、悪い権威は即座に叩き潰して cut the neck off しないといけない。そして、その良し悪しや是非を決めるのはわれわれ自身であり、これはつまりわれわれが権威として認めるものと現実の権威との比較である。確かに、その権威が自分自身であるような人物もいるだろう。たとえばロシアの大統領などは(一説ではロシア・マフィアの操り人形にすぎないとも言われるが)重大な一例かもしれないので、比較対象として何を選ぶかには重大なリスクがある。
ということで、僕は自分で書くテキストの本文にはです・ます調を採用したい。そして、これは読み手に「柔らかい」だの「やさしさ」だのという勝手な印象を与えるためではなく、ごく普通に相手へ何かを説明する表現方法としてだ・である調よりも自然に思えるからだ。だ・である調の方が公正で中立で正確で・・・などという錯覚は持ち合わせていない。どういう文体で書こうとクズはクズである。