Scribble at 2023-11-15 10:09:05 Last modified: 2023-11-16 08:12:40

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少し齧った程度の自称「専門家」が様々な「圏論万能論」といった怪情報をインターネットに発信してしまっている事が多く見受けられる.また,当然のことながら「どの程度勉強するか」というのは,何をどのように専攻しているかに依存する.にも関わらず,圏論をあまり使わない数学者の「圏論なんて不要」などといった極端な意見を鵜呑みにしている学生も多いように思う.要は過大評価と過小評価ばかりで,正当な評価がされていないと感じる.

圏論とは何か

あと、これらの過大評価や過小評価に加えて、昨今の圏論(出版)ブームに乗じて出版される「神々の雑談」的なプロパーとアマチュアのエッセイやインタビューなどをまとめた本なんかによくある、ほどほどに距離を置いて接しようという、いかにも優等生的で擬似中立と言ってよいスタンスだ。これがデタラメでいい加減な、しかも殆ど中立であることに何の拘りも情熱もない、数学が多少はできる良い子の傍観者的な態度を「哲学」だと勘違いしていることは明白である。実際、そうしたスタンスを維持するなり確立することによってのみ達成されるような成果が、『科学哲学』や『科学基礎論研究』はおろか、海外の雑誌であっても登場したことなどないからだ。

僕は当サイトでも哲学の一つの取り柄として、あらゆることに門外漢なり部外者であり続けることを挙げているけれど、それは哲学を「極道」などと自虐的に表現するマスコミ受けのいいものでもなければ(そもそもマスコミ関係者ごときに評価されている時点でパフォーマンスから脱していないわけで、そこに気づかないのは哲学者として致命的な自己欺瞞なり錯覚であろう)、何かポモ的な、軽やかに現代の知を横断するなんやかんやといった、浅田彰=博報堂的なフレーズで語れるようなものでもない(実は浅田彰氏にかような軽薄の責任はなかったりするのだが、もう彼は思想家としては自分のスタンスを相対化することを諦めているらしい)。要するに、あらゆることについて黙々とその根拠を問い続けよと言っているだけの話である。仮にも膨大な読書や研究や思索が求められるとすれば、その理由はそこにしかないであろう。

ちなみに、上記のブログ記事の著者は詳しいことは動画で配信すると書いているのだが、YouTube のチャネルを確認しても阪神巨人戦の中継動画しかない・・・そういや、たまたま思い出したのだが、関大の修士だったときに中世哲学を専攻する教官で、阪神の戦績が悪いと機嫌が悪くなるという人物がいたらしいが、在籍していた3年のあいだに一度も話をしたことはない(ちなみに博士課程前期課程=修士課程に3年もいたのは、修論の出来栄えがよくなかったので取り下げて留年したからだ。その「出来栄えがよくなかった」方の元修論が、いま当サイトで公開している「確率論的因果性の概念」だ)。

それから、上記のブログ記事を見つけた経緯を書いておくと、僕は先日から数学愛好者が登録するという Mathstodon という Mastodon の連携サイトへ登録していて、そこで Dowker の定理についての投稿を見つけた。僕にとって Dowker と言えば causal sets という概念を提唱する理論物理学者だったが、数学者の Dowker について調べているうちに、国内で Dowker の定理に言及しているブログ記事の一つに上記のブログを見つけたたというわけである。

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