Scribble at 2023-10-23 10:57:49 Last modified: 2023-10-23 11:00:08
かなり前から平井(ヒロ・ヒライ)さんの動静は Facebook でフォローしている。海外の人々が使ってるからなのかもしれないが、彼は珍しく Facebook をかなり活用しているプロパーだからだ。科学哲学の研究者で Facebook を主な SNS として使ってる人なんて、たぶんいないだろう(なので、僕が Nelson Goodman の Facebook Page を管理していることも知るまい)。
彼が先日の投稿で紹介していた、井筒俊彦氏の研究書は、このところ他にも出している人がいるようだ。アマゾンでも何冊かが新刊として出てくるし、もっと雑な通俗本もあるようだ。僕はその手の咀嚼本というのは昔から興味がないので手に取るつもりはぜんぜんないのだが、もちろん古典を読むだけで「偉大な哲学者と直に対峙できる」みたいなオカルトを信じているわけではない。意外に哲学のプロパーにも、こういう非科学的というか非学問的なことを無自覚に思い込んでいる人がいるので困る。僕が咀嚼本を読むつもりがないと言っているのは、翻訳についてはともかくとして、日本語で書かれた文章について言えば、もし僕が読み違えたとすれば責任の半分は著者にもあると思うからだ。そして、誤読かどうかによって思考や議論の致命的なところを間違う(特に自分自身にとって不本意な仕方で間違う)ということも、そのリスクが分かった上で咀嚼本を無視して読むというのが一つのコミットメントだと思う。なので、その成果としての議論がクズであれば無視されるだけだろうし、何とか(誤読であれなかれ)成果として評価できるものを残せばそれで読んだ効用を活用できたという話になろう。
要は、読んで何をするかが問題なのであって、どう正確に読むかは哲学者にとって本当のところ大した問題ではない。実際、或る哲学者が古典をどう誤読したかということすら一つの研究テーマになっているくらいなのだから、それだけのことで全てが否定されるわけでもない。
あと、まったく個人的な理由として、確かにグローバルなスケールでの哲学史において、とりわけ井筒氏が取り組んだアラビアの思想やイスラム思想は不当に低く評価されたり軽視されていると思うけれど、なんだかんだ言ってもそこからの帰結が女性蔑視やテロなのだから、そんなもん学んで何になるんだよという簡単な問いに答えずにイスラム思想になんか時間を使う気が起きないわけだよ。俺って、偽善者なんで。