Scribble at 2023-07-26 18:07:00 Last modified: 2023-07-26 20:58:59

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Causation and Universals

何年ぶりかで、改めてこういう因果関係の実在論というアプローチにも学ぶ必要を感じる。実際、何年も(別に物書きや無能どもを DIS ってただけが理由ではないけれど)研究としては停滞していたので、こういう込み入った議論の著作物(フェイルズ自身ですら見通しの悪い議論だと言ってるくらいだし)を丁寧に読む必要を感じる。もちろん、フェイルズだけでなく causation, necessity, laws of nature といったテーマを取り上げてきた研究者の多くは、欧米なら多かれ少なかれ宗教と切り離して議論できないというコンテクストに置かれているわけだけど、そういうバイアス(だと僕は思っているが)を切り捨ててまで議論できるのかどうかも一つの興味ではある。ちなみに YouTube などで勝手に「ファルス」とか書いているのだが、大抵の動画では「フェイルズ」としか聞こえない。やはりこの程度の結果だと、automatic transcript の機能なんて、まだぜんぜん信用できないということになる。

それはそうと、上の写真は僕が所持するハードバックなのだが、京都の至成堂さんで30年くらい前に購入したものだ。当時は(奨学金を殆ど親へ渡していたので)バイト代の大半を論文のコピーと至成堂通いに使っていた。いま書棚から取り出してみると、£35.00 という定価のレイブルが付いていて、裏表紙には至成堂さんの売値が鉛筆で書き込まれている。12,950円だ。30年前でこの値段というのは、プロパーや大学図書館が公費で買うならともかく、個人しかも学生が毎月のように買う値段ではないだろう。確かに、僕の先輩には毎月の書籍代として小遣いを数百万円というオーダーでもらってる人もいたにはいたけれど、当家は僕の奨学金を補って食ってたような家庭だったし、研究者の実態として珍しいことでもないにせよ、いまから思えばかなりクレイジーなお金の使い方をしていたと思う。実際、そうやって手に入れた書籍の全てを読んでいるわけでもないのだから、なおさらだ。

それはそうと、この手の著作物を読むとたびたび感じることなのだが、例えばトゥーリーの Causation: A Realist Approach にも言えることだけれど、因果関係が foundation であるとか irreducible to other であるとかいう、まさに形而上学的な根拠が弱いという気がするんだよね。そして、僕はそういう議論を「行間」に追い込むような著作(誰に解釈学をやってほしいというのか)は好まない。やはり竹尾先生がラッセルの訳者あとがきで書かれたように、straightforward な論述というものを尊ぶのが英米哲学の伝統だろうと思う。

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