Scribble at 2023-06-11 21:16:16 Last modified: unmodified
中学時代に考古学で何度か教えを請うた森浩一先生は、プロパーであればご存じかと思うが「町人学問」というフレーズを好んで使っていた。アカデミズムが成立していなかった江戸時代の、まさに町人が調べたり記録をつけていた文献というものが多くの地方に残っていて、考古学も遺構や遺物の発掘で得た情報だけではなく、それらの人々が残した資料も(もちろん何らかの間違いや不正確さもありえるが)活用しないといけない。したがって、考古学を志す学生には(もちろん僕もそうだった)生物学や気象学や化学の習得も薦めていたけれど、それと同時に古文書を読めることが望ましいという意見だった。まったくもって至当である。
森先生が実際にサポートしたことで知られているアマチュアや「町人」の例としては、おそらく原田大六氏が有名だろうと思うのだが、大学や文化財行政機関に籍を置いていないだけの事実上のプロと言っていい人物だけではなく、地方のいわゆる郷土史家とか歴史研究家と呼ばれている人々とも交流があったようだ。実際、岡山県に事務局がある考古学研究会は珍しくアマチュアも多く参加している学術団体として知られており、未熟な調査や考察あるいは出鱈目な妄想に陥る人が多い考古学や歴史学にあっては(『日本国紀』なんて本をウィキペディアからのコピペで書くような GPT-4 以下の人間もいる)異彩を放っていたことから分かるように、アマチュアだからといって学術研究としての水準が低いわけでもなければ、高められないというわけでもない。探せば幾らでも学ぶべきことは色々な地域で見つかる可能性があろう。ただ、僕はそれをプロパーがやって文字通り「発掘」する必要があるとは思わない。それこそ青い鳥症候群のようなものであって、MD で書いた「シュナイアーの法則」という論説でも述べたとおり、アマチュア自身が成果を上げて学術としての説得力を持つ他にないだろう。
だが、たとえば(科学)哲学についてはどうだろうか。いや他の分野でも言えることだが、そういう「成果」が出版物や Twitter でのパフォーマンスといった、マーケティングや広告宣伝が優先では、いかにも胡散臭いと言わざるをえない。デザイナーに哲学用語辞典を作らせて、広告代理店がよくやる「仕掛けづくり」とばかりに哲学ブームとやらを煽ってみたり、いったいどこの実績なのやらゲームやシステム開発の経歴があるというだけで「システム」とか「情報」とかに見識があるかのような妄想をばら撒いている自称思想家の本を売りまくって、著者に長野県で別荘まで建てるような収益をもたらすとか、そんなことは、まじめに言って学問の進展や発展と何の関係もない。それこそ、暇と退屈がなせるインチキ学問であって、そんなものは森先生が思い描いていた町人学問とは関係のないものであろう。