Scribble at 2023-06-10 08:01:53 Last modified: unmodified

[...] unanimously agreed on the need to pin down the various meanings of “free will.”

A Famous Argument Against Free Will Has Been Debunked

この手の話題について関心はあるのだけれど、とりわけ現代のメディアで公衆に向かって適当に放り投げられている議論というのは、その大半がバカげた文学的なポエムやセンチメンタリズムを振り回す熱狂であるか、あるいはアスペルガー患者やリバタリアンに特有の冷笑だったりする。ウェブというのは、こういう何かの自然系分野で博士号をもっているサイエンス・ライターたちのコタツ記事が飛び交う場所でもあり、もちろんまともな論説もあるにはあるが、それを見つけるコストがかかりすぎて、とても相手になんてしていられない。

科学者やサイエンス・ライターの大半は、ハーヴァードの PhD を持っていようと例外なく、「自由意志」を手前勝手に想像することでガラクタの議論を展開し始める。まさに garbage in, garbage out だ。よって、或る仮定を置くとどのような議論が展開できるのかという「臨床」としては着目に値する事例があるのは知っているけれど、だからといって Japan とか呼ばれている文化的辺境地帯で思想家と呼ばれているような人々がやるような、昔ながらの(かつて吉本隆明が名付けた)「知的密輸」で臨床事例をコレクションしたところで、われわれ哲学者には殆どインパクトなどないわけである(彼らが勁草書房とか筑摩書房から出しているような、横のものを縦にしただけの本を読まなくても、君らと同じ程度には英語で読めるからだ)。

だが、もちろん自由意志とは何であるか(いや、寧ろ何である「べきか」)について哲学あるいは哲学者が特権的な決裁の権利をもっているとかもつべきであるなどというのは錯覚であろう(ああ、だからといって「独立研究者」とか「市民」とか「革命的プロレタリアート」とか、その辺に履いて捨てるほどいるマスコミに製造された「思想家」のお歴々にあるとも思っていないがね。もちろん凡人にもあるわけない)。この記事にしても、上記で引用したことだけが意味のある中身だ。

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