Scribble at 2023-03-12 15:23:58 Last modified: 2023-03-17 10:29:49

修論を書いているときに検討した話題として、"probabilistic causation" は「確率的因果関係」なのか、「確率論的因果関係」なのか、それとも「確率的因果性」なのか「確率論的因果性」なのか、あるいはまた別の何事かとして暫定的にステータスを与えておいた(ということが分かるような名詞を使う)方がいいのかという議論があった。

そして、まず従来の国内の著作物に倣って、30ページていどの修士論文(第一稿)では「確率論的因果性」と書いた。当サイトで公開している「確率論的因果性の概念」という論説は、その第一稿である。その後で、実際に関西大学に受理された修士論文では「確率的因果性の概念」と改めている(こちらは1年だけ留年して書き足したり論点を詰めていったので3倍ていどの分量になった第二稿であり、それを当サイトに掲載していいかどうかは関西大学の判断に拠るため、いまのところ著者ではあるけれど、他で掲載することは自重というか遠慮している)。理由として、これは具体的な論説としては博士論文の研究計画書に書いただけなので形になってはいないのだが、確率の概念について Popperian であったからだ。どうも「確率」という認識論的ステータスとしてしか捉えられないというのでは道具主義や唯名論と同じに思えたからだ。しかし、ここで難しくなるのは、僕は causation については antirealism を支持しているので、実在しない認識論的カテゴリーのことがら、つまりは話の彩にすぎないようなものが「因果関係」だと考えているにも関わらず、それを確率という(実在すると考えている)宇宙の特性によって整合的に定式化できるのかという問題が起きるからだ。

やりようはある。たとえば、学部レベルの猿知恵でいいなら、causation と laws of nature とに supervenience を仮定してやればいい。確率は causation の基礎になる laws of nature がもつ特性であって、これに依存する causation もまた矛盾しない性質をもつであろう。しかし、そうであれば、probabilistic causation として定式化される causation は「確率的」と言うよりも「確率論的」ではないのか。確かにそうだ。

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