Scribble at 2023-02-04 11:04:35 Last modified: unmodified
いまメジャーなグループがやっていることは、自分たちが定義している「生命」の条件に見合う何かを探すということなので、つまるところ「おい、隣のボブはどこにいるんだ?」という話でしかない。隣に何がいるのか見当もつかないという可能性は、ひとまず除外されているわけだ。もちろん、僕が cognitive closure を支持しているからといって、これを同じことだと言っていいかどうかは分からない。これもまた意識とか人権とかいった概念と同じことであり、我々が何をもって「生命」と見做すかは、本当のところこの宇宙にとってはどうでもいいことだ。僕らがどこかで見つけた何かを「生命」だと判断して、それが何なのかという問題には、やはり僕ら自身の基準によって答える他にあるまい。
ただ、いまの「生命」の基準が僕らの観念に都合よすぎるという可能性はある。「ロボット」と言われたら、この文化的辺境国家では、すぐにガンダムとかジャンボーグ・エースみたいなのを想像するやつが多いのと同じである。