Scribble at 2023-01-17 17:11:40 Last modified: 2023-01-17 18:30:30

健康診断がてらで久しぶりに出社してジュンク堂へ足を運ぶと、またぞろ圏論の本が出ている。またもや何を言いたいのか不明な雑談集といった体裁の本だ。いつも思うのだが、哲学科の学生が読んで意味があるとは思えず、さりとて数学科の学生やコンピュータ・サイエンスの学生が読んでもどうかという気がする。ほんとに、「わかってる人たちの茶飲み話」の類で、Oxford の荘厳な食堂で貴族ぶった連中が京都人みたいに陰湿で気軽なトークを繰り広げているようなものに思える。とりわけ category theory については一定の数の教科書の翻訳が出尽くした後は、こんなのばっかり出版されてるんだけど、誰のために出版してるんだろうな。(それはそうと、こういうものを全て蹴散らしてやるみたいな威勢のいいことを言ってた量子論の人はいつになったらトポスとかのテキストを書くんだろう。)

はっきり言ってこんなものが続々と出版されてるのって日本だけだと思うんだけど、どういう現象なのか。もちろん、その原因や事情の多くは編集者とか出版社の側にある。なぜなら、誰が何を書くかは関係なく、日本の出版社というのはアパレル業界やアダルト・ビデオの業界みたいなところがあるからだ。独立独歩のようでいて、実は流行に左右されたり思い込みによって風評をまき散らしたり横並びの出版傾向を示す。最初に派手なものを送り出して消費者にインパクトを与えたら、どんどん通俗化したり劣化した商品を乱造するようになる。フランスで登場したスタイルがダイエーとかで販売される洋服に反映されるころには下らないデザインになってるし、アダルト女優の出演料とかも似たような推移で変動するわけだ。それに哲学のプロパーがのっかっているのもどうかと言えなくもないが、たいてい哲学プロパーは社会科学のリテラシーがないので仕方ない。いや、もちろん数十年後にはどのみち死ぬんだから、そんなリテラシーをわきまえた「適切な判断」なんてどうだっていいという見識はありえる。

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