Scribble at 2023-01-02 12:13:14 Last modified: 2023-01-02 23:38:53

アマゾンのレビューとかを眺めているとウンザリさせられることが多いのだが、『日本書紀』を否定して百田コピペ本を薦める馬鹿とか、ほんとうにインチキ右翼やネトウヨというのは、不敬どころか無知無教養の類だな。われわれ保守の人間は、右翼なんてゴロツキとは決して「同類」と思われたくないものだ。右翼はもとより、ネトウヨも歪んだ全能感や中二病があるし、あの手の連中って実は自分が「天皇みたいな存在」になりたいんだろうね。だからああいう不敬なことを幾らでも言う。付け焼刃で書かれた本をイージーに読み飛ばして「国」を理解したつもりになる。そして、色々なところで愛国だの国柄だのを語って見せれば、無知なガキでも自分が日本を体現している、意味のある存在とやらになったかのような高揚感が得られるわけだ。ほら、最近のガキが大好きな「転生物」っていうイージーな小説や漫画やアニメがあるじゃないか。生まれ変わったら魔王でした、勇者でした、万能でモテる主人公でした。そして、あいつらはどのみち本を出版したとか Twitter で何やら国についてご高説をツイートできたていどのことで舞い上がってしまっているのだろう。

自分の未熟な知性や知識の範囲に回収できない「分かりにくい」ものを全て排除して、百田尚樹のクズ小説やインチキ本のようなものばかり消化する知的な意味での幼児たちも、もちろん、諸君のような哲学プロパーや物書きは啓蒙や教育の対象にしなくてはいけない。本気で教師として教えたり、通俗本を書いたり売る気があるなら、実際のところネトウヨと大して理解力は変わらない可能性がある思想オタクだけを相手にしていてはいけない。

僕は MD でも「凡人」という言葉を derogatory としては使っていない。自分も含めて(恐らく例外はないであろう)凡人を無視したり軽視する必要も根拠も正当性もないからだ。いわば、例外がないとすれば、「凡人」とは要するに「ヒト」と言っているのと変わらない。ハーヴァードの名誉教授だろうと、ノベール賞やフィールズ賞を受けていようと、全能もしくは特定分野の完全無欠な知性などありえないのだから(それこそ内容や条件が理解不能な、ただの言葉にすぎない)、有限で未熟だという意味では、誰であろうと凡庸さを抜け出られるものではあるまい。そして、上記で述べているような愚かさも凡庸さの一部であろう。しかし、だからといって全ての人間が凡庸であるばかりか無能であるとは限らない。何度か言っていることだが、有能さは多様だが無能は画一的であり、無条件に差別の対象である。人の社会は、多様な有能さよりも画一的な無能さをいち早く検知して排除しなければ適正に防衛できないからだ。そして、無能を排除するには「力」が必要なので、たとえば具体的には国家資格を定めて無能な人間が医療を施せないようにしたり、教育に携われないようにしている。報道・出版や大学教員は例外なのだから、もちろん自らで無能でないと証明しなくてはいけない。人も組織も弱いところが最も危険であり、情報セキュリティでもペリメーター・モデルというのは組織の全員を引き上げて弱点を強くしようとする。知識や文明についても、出版社が愚劣な本を出し続けたり、大学で無能が科学哲学を教えたりすると、そこから国は腐っていくのだ。心してもらいたいね。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook