Scribble at 2022-12-18 13:58:14 Last modified: 2023-07-31 09:07:25
MD で書いたように、森先生(神戸大の恩師ではなく、考古学の方の恩師)が箸墓古墳について解説している『真珠の小箱』の録音テープを見つけたので、ボイス・レコーダのソフトウェアで MP3 に変換して Google Drive に保管してある。条件が許せば Internet Archive にでもアップロードしてもいいが、たぶん近鉄や MBS は承諾などしまい。よって、番組の一部を transcript として抜き出して引用する体で、森先生の解説を紹介する記事を書く予定だ。もちろん番組から transcript に移すのはコピーのような場合と同じく全体の 1/2 までとしておけば、引用の体で transcript を記事として紹介しても脱法行為にはなるまい。
そういうこともあって、箸墓古墳について少し調べ始めている。もちろん、『真珠の小箱』が放映された1980年代の中頃から40年くらいは経過しているので、その間に森先生が番組で解説している内容にも訂正を要する箇所があるかもしれないからだ。ただ、そんなに多くはないと思う。なぜなら、箸墓古墳は宮内庁が倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓に治定しているため、誰も発掘調査ができないからである(そういえば、『古事記』や『日本書紀』に登場する人物名を早口言葉のように諳んじるのが中学時代に流行したのを覚えている)。数年前に、1時間半ていどの散歩みたいな調査は実施されたようだが、そんなものに考古学的な価値など殆どない。
ちなみに、僕はこういう話題については森先生の持説と同じように、未確定の古墳について被葬者を勝手に決めて古墳の名前として「仁徳古墳」とか「応神天皇陵」などと呼ぶのは非科学的だし、場合によっては違う皇族の墓を勝手に違う人物の墓だと言っている誤りにもなりえるため、逆に宮内庁と無知無教養な右翼の方が不敬であると思う。もっと言えば、「箸墓」という呼称そのものも『日本書紀』に記述された倭迹迹日百襲姫命の伝承とかかわらせる意図があると考えられるため、合っていようがいまいが被葬者の確定していない古墳については、地元の人々が昔から呼んできた「箸中山」といった名前か、あるいは敢えて数値だけ(例えば緯度経度を使って「墳墓:34-32-21/135-50-28」みたいな)を使った方がいいように思う。
だが、多くの考古学者がこうした古墳を(正確な被葬者を知るためと称して)発掘する「権利」を主張するのは、僕は間違いだと思っている。本来、皇族だろうと豪族だろうと一般市民だろうと、他人の墓を無断で掘り返す権利など誰にもない。或る個人の、現在も姿を留めている墓を暴くなどという行為を正当化するために、十分な法的議論や根拠があるとは思えず、はっきり言わせてもらえば好事家的な興味本位や国の遺産などと称する観念的な弁解しかわれわれは知らない。他人の墓を暴けるのは、それが文化財だからであるという、実質的には同語反復に近い(文化財なら国が自由に扱えるから暴けるのだという前提が隠れているという意味で)議論しかないのである。よって、そういうことがクリアになっていないうちは、古墳の発掘を禁じている宮内庁の立場は尊重する。もっとも、彼らはそれを禁じている理由を根本的に間違えているのだが。
ということで、発掘されていないがゆえに、外形的な編年分類だとか、周辺で出土した土器の年代測定などの僅かな調査を除けば、箸墓古墳については大半の研究成果が文献を使った推定か、もしくはデタラメな妄想の類である。僕に言わせれば、箸墓古墳を卑弥呼の墓だとか言っているのも、そういうデタラメの類である(というか、邪馬台国や卑弥呼に関する 99% 以上の研究成果と称する文献は、無能な研究者の未熟な推論や素人の妄想だと思う。考古学者を嘱望されていた人間として敢えて言うが、邪馬台国については中学や高校の教科書に書かれている以上のことを学ぶ必要などない)。よって、森先生の時代から今日まで新しく積み上がった実質的な「業績」と呼ぶにふさわしい研究成果なんて、ごくわずかだと言っても過言ではあるまい。せいぜい、40年前よりも精度の上がった測量装置や探知機、あるいはドローンなどを使った調査ができるくらいだろう。実際、2020年に宇宙放射線を使って内部を透視する調査(いわゆる「ハイテク考古学」)が行われたけれど、それ以外は他の古墳に関する研究結果との比較という相対的な議論でしかない(というか、考古学の編年・分類という手法は相対的な議論しかできないわけだが)。
あと、さきほど大阪市立図書館で古墳時代の本を何冊か見てきたのだが、いまだによく分からないのが古墳の図版や写真だ。これは、僕が既に中学時代から言っていることなので、もし考古学の研究者になって著作を手掛けられるチャンスがあったらやっていたと思うのだが、どうして前方後円墳の図版や写真をバカの一つ覚えみたいに鍵穴状の向きで示すのかということだ。日本語を読める日本の成人であれば、「前『方』後『円』墳」と書かれている言葉の意味として、上下と前後の常識的な符合を考慮すれば、前方部が上に、そして後円部が下に示されていないことに違和感を覚えるのが当たり前ではないかと思うのだが、どういうわけか大半の人が(僕には上下さかさまに見える)「鍵穴」というバカみたいな喩えに拘泥して、これを不自然とは感じないわけである。僕が、哲学者として分析哲学のバカげた喩え話の類が大嫌いなのは、こういうことも理由の一つになっている。分かりやすいイメージや喩えで、人は簡単に物事のなんであるか、なんであるべきかを決めてしまう。「前方後円墳」と文字ではっきり書かれているにもかかわらず、古墳の形状の示し方として何が自然なのかということについて、多くの人は鍵穴のイメージを優先してしまうのだ。ていうか、更に聞きたいのだが、どうして「鍵穴」だと丸い方が上になるというイメージしかないのかという点についても疑問はある。それは、大半のドアで取り付けられている鍵穴の向きがそうなっているからなのだろう。それはそれで良い。
ただし、そもそも「前方後円墳」という呼称がこういう形状の古墳の用途から言って正しい前後を表しているかどうかは、実はよく分かっていない。もともとは江戸時代の史家であった蒲生君平という人物が古墳を横から見ると「宮車」と言われた古代中国の霊柩車に似ていることから、方形の墳丘は車を曳く馬の列に見立てて、円形の墳丘は丸い傘のような屋根がある車に見立てたのであろう。また、明治時代に日本で古墳を調査したウィリアム・ゴーランドは "keyhole shaped" だと言っていたようで、これは現在の鍵穴に見立てる円形が上で方形が下の見え方に大きな影響を与えたのであろう。しかし、これらはどちらも古墳の用途や意味に関する歴史学的・考古学的な根拠とはぜんぜん言えない。よって、簡単に言えば「前方後円墳」という呼称自体に何の根拠もないのである。祭祀を執り行っていた場所として方形の墳丘を「前」とするという意見もあるが、どちらで祭祀を執り行おうと、そちらを「前」と呼ぶ根拠にはならないだろう。
[追記:2023-07-31] 誤記などを三つほど修正した。