Scribble at 2022-10-22 19:12:22 Last modified: 2022-10-23 07:39:21
Draws contemporary philosophers into a critical conversation about higher learning with novel and original contributions to the field of philosophy / Raises discussion regarding the scope, direction, and organization of institutional contexts considered philosophically insignificant / Engages philosophy in meta-critical discussion of role of philosophy and philosophers in an institutional context
Palgrave Macmillan の本も Springer から出ているとは知らなかった。あまりここの哲学の本は買わないので、書誌情報を手元で眺める機会がないと分からないものだ。
それはそうと、こういう自意識の臭いが漂ってくるアプローチというのは、僕には philosophy for everyone とか「ケア」と称してあれこれと現象学っぽいイベントを開いてるような人々、あるいは大昔から「市井の哲学」だの波止場の哲学者だのと、学者の側が逆差別の代行者となってきた数々の愚劣なジャーナリズムと、結局は性根というか思想のレベルとして同じことをやってる気がするんだよね。
もちろん、哲学は「高等教育」なのかという疑問を問うても構わない。これは色々な脈絡で否定的にも肯定的にも扱える。
リバタリアンやポピュリストのような人でなしからすれば、哲学なんて経済活動や政治的自由とは関係のない生産性ゼロの暇潰しだから、カルチャー・スクールや辻説法で十分だと考えるかもしれない。しかるに、大学どころか初等・中等教育からも倫理や哲学の授業を排斥して、要するに STEM だけ教えた知恵のある産業ロボットを増産することが学校の使命であるなどと、ホリエモンやひろゆき、あるいは維新の会の政治家や Abema の番組とかに出てる政治評論家を自称する文化芸者に本でも書かせたら、とりわけ人文系の人々に首元を押さえつけられているという鬱屈を感じる自称「理系」の人々や、学歴コンプレックスの激しい人々からは、拍手喝采を浴びることだろう。
逆に、哲学は高等教育だけにとどまらない「パースペクティヴ」だの「射程」(軍事用語だぜ? 自覚あるのかね)とやらをもつ云々といった、『現代思想』とかに毎月のように掲載されるような駄文を書いてる連中、そうそうちょうど岩波新書で再びスピノザに戻って本を書いてるような小平のロック・スターみたいな連中に、これまた学歴コンプレックスの激しい思想オタクの琴線に触れるような希望の本を書かせてみてはどうだろうか。勉強なんてしなくてもいいし、外国語なんて習得する必要はない。大出版社から続々と発売される、彼らのようにやがては「知の巨人」と呼ばれることになろう人々の著作を読み、青山のデザイン事務所や渋谷の AV 鑑賞ルームや秋葉原のメイド・カフェで、分析哲学の愚劣で浅薄な数々の喩え話をしょーもないレベルの論理式で説明して見せるとか、肉体フェチか深刻なコンプレックスを誤魔化す現象学的なんとかかんとかを語って見せるとか、あるいは科学哲学の非常にテクニカルな議論(ちょうどベルの不等式について語れば、君もクラスの人気者だよ!)を語って煙に巻いて見せるとか…何にしても、哲学は「みんなのもの」なのだ。