Scribble at 2022-09-05 10:49:43 Last modified: 2022-09-05 11:04:58

通俗的な哲学イベントの主催者たちが妄想する「哲学少年」とは違って、たぶん君らはそうじゃなかったから知らないのかもしれないけれど、たいていの好奇心や悩みをもつ若者というのは、手がかりがよくわからない状況で単純に色々なことへ目を向けたり手を伸ばしてるわけだ。そして街中だろうと校内だろうと自室だろうと、どこでか何かを見つける(あるいは見つけたと思う)。でも、それが何なのかは、各人が抱いている興味とか心配事によって違う。

もしかすると、君らがそうあれかしと思ってる「哲学本」なる愚にもつかない紙屑かもしれないし、あるいはそういうものを乱造してる馬鹿どものプライベートで自意識過剰な殴り書きかもしれないし、京都のブ男が書いた遊学エッセイかもしれないし、暇と退屈がどうしたとかいう裕福な小僧の人生訓かもしれない。でも、その多くは予定調和的な「哲学」という観念に収まるようなメディアであるとは限らないわけで、だからこそ君らも中途半端な「哲学アイドル」を引っ張り出してきたり、中学や高校で『精神現象学』の原書を読むような若者をスターとして仕立て上げたり、あるいは哲学を事業とするベンチャーを立ち上げるといったマーケティングをやってるわけなのだろう。

でも、なんにせよ「哲学」に関係があるメディアこそが正統の手がかりであるというのは、致命的な愚かな思い込みである。大半の若者にとって、何かを考えるための手がかりというものは、そんなお仕着せの観念ではないし、そもそも若者には自分にかかわりがある何かとしての「哲学」という観念すらないのである。よって、もしかすると転生物のラノベだったり、18禁の幼女凌辱ゲームだったり、広島の武闘派ヤクザが主人公の映画だったり、似非キリスト教の勧誘ビデオだったり、地獄のミサワのイラストだったり、夢の遊民社の演劇作品だったり、台湾の少女が取り組むビリヤード競技の映像だったりするかもしれない。そんなことは、誰にもわからないのだ。

そして、昨今の哲学系イベントや哲学系ベンチャーが何をしようと、われわれ電通と一緒に仕事をしてる人間からみて子供騙しとしか思えないレベルのマーケティングなんて500年やっていようと、そんな押しつけがましい〈サービス〉に人を哲学に向かわせる力などないし、そもそも誰であろうと彼女らの好奇心や悩みの向かう先が〈哲学〉である保証など何もないのである。そういう前提から考え始めない限り、しょせんは思想オタクを相手にするコンシューマー哲学やディスポーザルな思想トークをばら撒いているだけなのである。

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