Scribble at 2022-08-21 10:11:43 Last modified: 2022-08-24 13:58:33
Introducing not only new readings of well-known Japanese philosophers, but also work by contemporary Japanese philosophers who are relatively unknown outside Japan, it makes a unique contribution by offering an account of Japanese philosophy from within and going beyond an objective description of it in its various facets. Also featured is the work of a younger generation of scholars and thinkers, who bring in fresh perspectives that will push the field into the future. These critical essays, by leading philosophers and rising scholars, to the past and the present of Japanese philosophy demonstrate ways of doing engaged philosophy in the present globalized age.
遊佐道子氏という日本思想が専門の方による編纂で出版されている著作物を見つけた。
この人物について調べると、なにやら日本についてのプレゼンが目的らしい(例のネトウヨもたくさん紹介されている)サイトでナショナリズムと一緒くたにされているようだが、上記はそういうレベルの著作物ではないのだろう。Bloomsbury は、幻冬舎でもあるまいし、そんな意図をもってる(あるいはその程度の)出版社ではない筈だ。
とは言え、野江氏が何か書いてるようだが、基本的によく知らない人がよく知らない〈隠れた日本思想家〉について些末な論点をごちゃごちゃと(あるいは too much big questions について雑に)議論しているという印象の本だ。まさに日本国内でもせっせと馬鹿みたいに出版されている、暇なら誰かが読むんだろうなぁと大半のプロパーに敬遠されるような類の俳句集みたいなものである。日本の儒学なんて、そんな誰も知らん人に書かせるくらいなら呉智英氏にでも(自分で英語を使って)書かせたほうがマシではないのか。儒学や経済学って、本来はそうした辻説法のようなスタイルで語る類の思想であろうに。あるいは、相も変わらずメインは京都学派とか、あるいは "Fukushima" (3.11) がどうのこうのという過大評価やジャーナリズム哲学で満ち満ちており、呆れるほかにない。
現代において「哲学」する、しかも日本という単独の国家(=社会環境)なり地域(=自然環境)なり「風土」なり「文化」を前提に哲学するということ自体についてのメタ・レベルの議論が欠落している上に(僕はそんな独自の内容や価値なんて、しょせんは僕が当サイトでも繰り返している「自意識」でしかないので、〈哲学〉としてありはしないと思うが)、そういう条件を置いたうえでの業績すらないとあっては、「日本人」としてすら説得力を感じない。エロアニメを観たくて東大や京大レベルの大学に暇潰しで留学してくるフランス人や中国人に、コスプレを解説しているようなものだ。