Scribble at 2022-05-26 13:35:14 Last modified: 2022-05-31 10:03:46

日本人が知っている英単語には、辞書的あるいは学校的な(つまり生活に英語を使っていない学校教師というペーパー・ドライバーの)説明を何度も教え込まれているせいで、語感からして理解が歪んでいると思える言葉が幾つかあると思う。その代表が、おそらく "discuss" だろう。

"I will come back soon to discuss the latest product with my manager." と書くと、何か部長と意見を突き合わせて丁々発止の議論をするかのように感じて、実際に「議論」という言葉を使う人が多いと思うのだが、"discuss" は真面目に話し合うといったていどの意味合いで使われることが多い。寧ろ、日本語では「真面目に議論する」といった、英語の "discuss" の語感からすると奇妙な言い回しがあるためか(discuss してるなら真面目に話してるに決まってる)、なんでもかんでも「議論」という言葉で済まそうとする傾向があるようだ。これでは、日本語としても、ましてや英語の翻訳としては語感がズレてしまうのも無理はない。

"discuss" を一律に「議論」と訳してしまうと、"An article in this newspaper discusses some topics in the new economy." のような事例でも、報道する筈の新聞記事がニュー・エコノミーについて「議論している」というおかしなコロケーションになってしまう。この場合も、記事は "gives information, ideas, or opinions" しているのであって、記事の中で仮想相手と意見を戦わせたり、記事で表明した意見でもって誰かに論争をふっかけているわけではない。

したがって、このような語感を正確に表現する日本語の言葉(文節で説明的に表現するだけなら簡単だが)、つまり対応する語がないなら、英語の語句をそのまま使って語感を理解しておくのが無難だろう。ただ、これを「英語は英語で理解する」などという雑なスローガンと混同してはいけない。或る英単語に対応する言葉が日本語にないからといって、概念としても複雑であるという根拠にはならないからだ。あるいは、或る言葉が一つの単語として存在するからといって、それに対応する〈意味〉が単純で直感的に理解できるような概念として話者に習得されている保証などないとも言える。

或ることを上手く言い当てる言葉は、どの言語でも十分だとは言えない。そんな万能な言語など存在しないし、その「或ること」が各人の印象とか感情であれば、仮にそれを言い表せそうな言葉があったにせよ、何かぴったりと言い当てているようには思えないという、〈クオリア不安〉と言ってもよい気分が生じたりする。それが錯覚なのかどうかは、結局のところ当人のクオリアを客観的に測定したり記述する方法がない以上(クオリアが主観的な印象でしかないなら、そんな方法は原理的にありえないと言うべきだろう)、誰も当否を判断できない。

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