Scribble at 2022-01-30 11:08:07 Last modified: 2022-01-30 18:22:54
簡単にメタの話をしてみる。
たとえば、僕らの学部時代だとウィトゲンシュタインの『哲学探究』は大修館書店から出ていた「ウィトゲンシュタイン全集」(その後の出版状況を見ていると、もはや「著作集」としか言えない気もするが)の一巻を手に入れるしかなく、分析哲学のプロパーなら原書を手に入れるくらいだったろう。僕もその一端にいた自覚があったので、Suhrkamp の著作集をとりあえずはもっている。そのあとで校閲も色々と進展があり、原著でも数多くの見直しをする必要が出てきたりと、古典的な著作というものは取り扱いが難しい。
しかし、だからといって初心者に「最新の翻訳を読むべきだ」と言ってよいかどうかという問題は残る。もしそれが学術という観点だけでなく、出版・翻訳という商品販売の品質管理という観点で正当化できるなら、古い翻訳を販売し続けることは不正行為であると言って何がいけないのかという話にもなろう。しかしながら、某毒物研究者によるクーンやロセーの翻訳とか、プトナムの何冊かの翻訳については、プロパーから陰に陽に非難の声は聞かれるものの、翻訳者や出版社に対して絶版にせよと提言した事例はなかろう。ましてや、誤訳の疑いなど殆ど指摘されていない、単に古いというだけの訳本が欠陥商品の扱いを受けた事例など聞いたことがない。
すると、初心者には「『ひとまず』何を読んでもいい」と言えばいいのか。しかし、そういう場合にプロパーが陥りがちなのは、相手も自分と同じくウィトゲンシュタインやプラトンやデカルトの著作を何年も読み込んだり読み続ける意欲や理由を持っているはずだという思い込みである。たいていの人に、そんなものはない。その時に何かの好奇心があって『論理哲学論考』とかいう奇妙な本があるとか、『精神現象学』とかいう難解な本があると聞いて、いちど目を通してみようと思っただけかもしれないし、哲学科の学生ですら試験勉強や〈素養〉として通読しておこうとしているだけかもしれない。よって、「ひとまず」などと許容する際に、そこから更に奥深い誰それの思想なり全体像の理解へと進み云々などと勝手に読者の意欲とか目的とか事情を決めつけて〈手加減〉するような態度はやめるべきだろう。
そもそも、翻訳書を手に取る初心者の多くは、改訂版や新訳版との〈学術的な価値の違い〉を知らないし、知るべきかどうかも自明ではないと考えるべきである。仮に、新訳のような文章で読まないと、或る哲学者が LGBT であったかどうかが読者に分からないという違いがあったとして、その哲学者が LGBT だったと分かった読者にとって(少なくともその読者が抱いている目的や、その人物自身の満足度の基準で言って)何の利益があるのか。そこから学術的にはもちろん、読者の目的にとっても何らかの有意義な業績なり結論を引き出せなければ、そんなつまらない蘊蓄を知るためだけに必要とされる改訳に、何の意義があるのだろう。もちろん、そこから何か価値のある業績を引き出す人が現れないとは断定できないため、そういう翻訳があってもいいし、そういう翻訳を奨励したり維持することにも潜在的な利益という点での意義はあろう。しかし、他人に向かって他ではなくこれを読むべきだと勧めるための強い指標や理由になるとは思えない。それこそ、ひとりでにそこから先へ進んでプロパーになった(願わくは有能な)人物が、一人で勝手に見出して読めばいいていどのものであろう。世の中の、デリダやカントに興味があるという人の全てに向かって優先的に特定の訳本を提供することで、数打ちゃ当たる式に読ませたら、プロパー志望か有能かにかかわらず、誰かしらその翻訳を有益だと思う人がいるかもしれないという強い根拠でもない限り、それ自体が一つの社会実験でありコミットメントであろうが、そういう規模での選択について翻訳した者が責任を取れるとか取るとは思えないわけである。
いまだに岩波文庫には、50年以上も前に篠田英雄氏が翻訳した『純粋理性批判』が収められて販売されている。分析哲学の業界では大森荘蔵氏が東大の演習で使っていたという逸話で知られているが、これは「東大の演習にドイツ語の原書ではなく訳本を使っていた」という意味で奇妙だというだけではなく、「東大の演習に理想社の全集ではなく岩波文庫を使っていた」という意味でも十分に(たぶん東大出身者にとっては)奇妙で不可解な事例だからこそ、分析哲学のプロパーなら誰でも知っているくらい有名な逸話なのだ。では、このような事例を「翻訳なら何でもよいし、東大生が翻訳でしかカントを読まなくても、そこから成果を上げれば〈勝ち〉なのだ」と理解して、誤訳として知られていなければ何を(「ひとまず」であろうとあるまいと)読んでもよいと言えるだろうか。
ここから先は、プロパーが考えて答えを出してもらいたい。