Scribble at 2022-01-30 09:19:53 Last modified: 2022-01-30 09:37:17

そういや、長らく東京へ行っていない。知り合いも親戚もおらず、仕事の他に東京へ足を運ぶ理由は殆どないので、要するに仕事としてすら東京へ行く機会がなかったということになる。弊社の東京営業所は2020年の1月に代々木から渋谷駅前のインキュベーション・オフィスへ移転したのだが、もうすぐ渋谷から別の場所へ再び移る。そのインキュベーション・オフィスに、結局は1度も行かなかったということでもある。これは、昔の審査基準で考えるなら、プライバシーマークを取得している企業として変だと思われるかもしれない。なぜなら、プライバシーマークの付与適格性は審査を申請する事業者の全事業所・全事業を対象とするからだ。つまり昔の審査基準だと、全ての支社・支店・事業施設について、少なくとも内部監査している記録が必要だったのである。しかし現在の基準では、個人データを実質的に事業の用に供しておらず扱っていない職域や事業所は、まず「現地審査」の対象から外れる。これは審査のコストや審査員の手間を軽減するという目的もある。弊社でも、東京営業所は何年も前から実質的に営業担当者の机があるというだけの意味しかなく、たまに代表が出張した際の立ち寄り場所として機能しているが、社内外から預かった個人情報を管理・運用する場所としては全く機能していなかった。それゆえ、実際に前々回の現地審査(2016年)では個人データの取り扱いについて、東京営業所でわざわざ確認するような事項が殆どなくなってしまい、前回の現地審査(2019年)からは東京営業所が除外されるようになっていた。つまり、少なくとも個人データの運用に関しては内部監査すら不要と言ってもいい状況となっていたのである。もちろん、だからといって何もしなくていいわけではなく、企業には個人情報の他にも機密情報が色々とあるため、ISMS の認証を受けていた頃は東京営業所で監査が実施されたこともあったわけだが、ISMS は3年前に認証を取り下げた(ISMS は監査が毎年あって、早い話がコスト・パフォーマンスの問題である)ため、情報セキュリティ全般という趣旨でも第三者機関の監査がなくなり、自社の事情だけだと内部監査をわざわざ営業マンの机しかないところで出張費をかけてやる意味があるかどうかということになる。もちろん僕は企業の部長でもあり、財務的な観点でも業務の是非を判断する責任があるため、情報セキュリティとして現地での視察がいくらか必要だとしても、出張費をかけてまでやることかと言われれば認められない。

といったわけで、何年も東京へは足を運んでいないわけである。思えば、代々木から渋谷の駅前へ移転したときに、移転先であるインキュベーション・オフィスのビルには、たまたま弊社で利用している SSL サーバ証明書の販売会社である「ニジモ」という会社も入居していたため、内部監査かプライバシーマークの現地審査で東京へ行くときは挨拶でもしようかと思っていたのだが(わざわざ Microsoft To-Do にタスクの一つとして登録までしていた)、その機会もなくなってしまう。もう弊社の東京営業所は2月から移転してしまうからだ。しかも、既に弊社では就業規則で週5日のうち4日をテレワークとしてもよくなっている(もちろん蔓延防止だの緊急事態宣言だとが発令されているあいだは「テレワーク推奨」として、週5日全てをテレワークで勤務してもよくなる)ため、今回の移転でも殆ど運ぶ荷物がない。デスクトップ・パソコンなどは、ノート・パソコンだけで仕事に支障はないため、大阪の本社へ全て送ってきている。要するに事業所へ出社したとしても、規則で決まっているから来ているだけという意味しかなく、業務上の必要性が全くないのだ。これでは、ISMS だろうとプライバシーマークだろうと内部監査だろうと、こちらも敢えて行く意味がない。恐らくだが、今年か来年あたりに「東京営業所」という名目だけの支店も廃止されるような気がする(中小企業として支社を構えているというのは、業容を大きく見せる自意識プレイに役立つが、何といっても中小企業の経営で大切なのは、見栄よりも、下らない出費を削って利益を残すことだ)。

実際に東京で働いている人はとっくにお分かりだと思うが、東京と言ったって、学問にしてもネット・ベンチャーのような事業にしても、働いている人間の 99.999% は、別に他の都市や街や国と大差ない、圧倒的な凡人・無能の集団である。それゆえインターネット通信を活用して、色々な意味合いでの「ネットワーク」を築かなければ、何らかの事情でたまたま同じ場所や地域に有能な人が集まっているだけの偶発的な集団に取り残されてしまう。そして、先んじてネットワークを築いている集団にも後れをとる。1千万人を超える人口を抱えていようと、単に人が集まっているというだけで有能な人材の集団が勝手に形成されるなどという社会科学や社会心理学的な御伽噺を、21世紀になっても信じている者など論外だ(それゆえ、多くのまともな社会科学者は「集合知」の成功事例など結果論にすぎないと言って信じないわけである)。20歳の頃に住んで働いていても感じたことだが、例えば神保町は古本屋や出版社の街として巨大で魅力的な場所ではあっても、その「魅力」というものは、欲しい本がそこでしか安く簡単に手に入らないという制約を所与として不問にしているからでもある。そこを文化的・地理的な抑圧や限界だと感じなければ、一定の区域に同じ業種の小売店が密集しているという利便性に魅力を感じて当然だが、逆にオンラインで(神保町の店を探し回っても見つからないほど希少な本ですら)手軽に全国の店舗から検索して買えるようになれば、神保町という区域全体として魅力があろうと、個々の店舗を全国の店舗というリソースと比較すれば、実際のところ凡庸で大したことのない「神保町にあるというだけの古本屋の一つ」にすぎなくなってしまう。店舗へ足を運ぶというセンチメンタリズムにもいくらかの(心理的な)意義があるのは知っているし、実店舗でたまたま本を見つける(検索は、しょせん探さないといけないという致命的な制約がある)魅力も分かっているが、それらは書物を読んで何らかの益を得たり業績を上げるという目的からすれば、やはり哲学者として「些末」と言う他にない。

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