Scribble at 2021-01-14 19:22:23 Last modified: 2021-01-14 19:38:26
D. Reidel という、その昔はえらく高い本とか雑誌を発行していた出版社があって、同じく高額な雑誌や本を出していた Kluwer と合併したり Springer に買収されたりして消えてしまったのだが、科学哲学の出版物も多かった。特に Synthese とかは元々はここから出ていたので、雑誌論文を元にしたアンソロジーとか単著でも興味深い著作が多い。もちろん、学生が気軽に買えるような値段ではなかったので、大多数は関西大学の図書館でコピーしたものだった。その中に、Scientific Knowledge という James H. Fetzer の著書がある。竹尾先生の分類では「ハードな」科学哲学をやっている人で、この著作も説明理論や因果関係などを(その当時は)オーソドックスな手法で扱うものだった。もう現在では、形式化された言語を仮定してテーマや概念を定式化した上で議論を進めるなんてアプローチを採用する人は「ハードな」科学哲学の研究者でも多くない。なぜなら、そういう形式化でまさに何を仮定しているのかを議論するのが、科学哲学の筈だからだ。形式化というプロセス(もちろんこれは否定されなくてもいい)そのものの根拠を不問として後の記号操作だけで哲学の議論が展開できるなんてことはありえない。
なお、この Fetzer という人物は幾つかの話題について陰謀論を支持しており、例えばケネディ大統領は政府筋によって暗殺されたのだとか、9/11 はイスラエルかユダヤ人組織による謀略だと主張したり、ホロコーストの denialist でもあるらしい。そういう人物が書いた Scientific Knowledge という著書を、さてはてどう受け取ればよいのだろう。ヒトの有限性なり限界なり凡庸さとは言うものの、そういう(僕にしてみれば)単なる事実として片付けてよいものだろうか。