Scribble at 2020-10-28 19:31:44 Last modified: 2020-11-18 12:19:01

添付画像

統計学は実験や臨床試験、社会調査だけでなく、ビッグデータ分析やAI開発でも不可欠である。ではなぜ統計は科学的な根拠になるのか? 帰納推論や因果推論の背後に存在する枠組みを浮き彫りにし、科学的認識論としてデータサイエンスを捉え直す。科学と哲学を架橋する待望の書。

統計学を哲学する

会社の帰りにジュンク堂で、本来は会社法か労働法か財政学か租税法のまとまったテキストを物色していたのだが、法律のプロパーでもあるまいし、せいぜい図書館で借りて読めばいいだろうと思いなおして、数学の棚へ足を進めた。すると、統計学の棚に上記の新刊を見つけた。これまで国内で出版されてきた類書としては、圧倒的に確率の哲学にかかわる本が多かったので、それとは範囲も切り口も異なる統計の哲学について概論が出たのは良いことだと思う。

正直、確率の哲学についてはプロパーの成果を眺めていてもロクな進展がないし、概説書ばかりで数年おきに(たいていは翻訳で)現れるという出版業界の事情を優先しただけの実情にウンザリしていた。しかも、別に確率の哲学として際立った業績の人物の著作でもないようなものが翻訳され始めているとなると、あとは機械学習やら人工知能の(今回の)ブームが終わるまで粗製乱造が繰り返されるだけだろう。

そういう意味では、本書のような概論がこれから手を変え品を変えて現れ始める兆候なのかもしれないが。

[追記] Twitter では黒木さんをはじめとして何人かの批評が続いているようだ。内容の是非については俄かに判断しかねるが、上記で書いたように確率はともかく統計を扱った哲学の概説書として本書は先鞭をつけたと言えるので、まず歓迎したい。どうやら黒木さんは、初手がまずいと、統計学について誤解したまま間違いをばら撒く人が増えるので困ると思っているようだが、このレベルの概説書をそもそも読んで何らかの読書感想文を書いたり統計について語ろうなどという(統計学の、あるいは科学哲学の)素人がトランプ支持者と同じくらいいるとは思えないし、いたとしても影響力など社会科学的なスケールで言ってノイズと言えるていどだろう。あと、大塚さんが示唆しているように、それから僕が当サイトで津田さんの『医学と仮説』について書いたコメントでも指摘したように、自分のやってることは自分が一番よく知っているというのは錯覚である。僕らは個々の統計学者がベイズ主義者であるかどうかとか、主観確率を使ってものを考えているのかどうかなどということに興味はない。本書は統計学者の精神分析をやっているわけではない。

結局、いろいろなテーマでいろいろな言い方をしてるけど、なんだ、単純な話が、山形さんらと同じように「科学に哲学は不要」と言ってるだけのように見えるんだよね、この人って。確かに科学者や数学者がそう言いたい気分になるのは STS 的な脈絡で見たらわかる話だし(この場合の「わかる」というのは同意するという意味ではなく、社会現象なり人の心理として理解できるというのと同じ意味だ)、大塚さんも統計学者は哲学の議論に踏み込まないほうがいいし、それでなんの問題もないと言ってるわけで、煎じ詰めればアメリカで起きてる科学啓蒙家による哲学叩きと哲学者の困惑という構図と同じなんだよね。まぁ、槍玉にあげられやすい科学哲学に限らず、哲学というものが昔からそういう緊張感をもっているわけで、別に歴史を知っている者にとっては(真面目に受け取るべきだとは思うが)今に始まったわけでもない、或る種の予定調和的なバックラッシュと言ってもいいわけだけど。

※ 言及されている John Earman の "Bayes or Bust?" は持ってるけど、該当箇所までは読んでないから判断は控える。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook