Scribble at 2020-06-06 23:32:21 Last modified: 2020-06-06 23:34:19

02 プライバシーは、問答に関する権利である (20200605)

記事に意味の分からない通し番号のようなものが付いていて何の説明もないのだが、恐らくは何かの連作なのだろう。ついでに、記事のタイトルにわざわざ公開日付らしき文字列もついているのだが、こんな分かりにくい数値リテラルみたいなものを付けるくらいなら、ちゃんと「****年**月**日初出」などと表記して、機械的な処理に対応するならメタ・データや <time> の要素として記述してプロパティに電算処理向けの表記を追加すればいいと思う。

それにしても、いまどきプライバシーを語るのに "leave it alone" タイプと "made it myself" タイプ(自己決定権にもとづく定義)だけを拾い上げてきて、消極的 vs. 積極的などという、これまた僕が常に指摘している偽の対称性を概念分析に持ち込んで視覚的な対比を作って見せるという《哲学的サーカス》を演じておられる。せめて "PII" やら "data privacy" やら "group privacy" といった、まじめに三権の実務に携わっている側の議論や、われわれプロの開発者なり個人情報マネージャの書く物を見てからにしてはどうだろうと思うのだが。

そして、こういうことを書くと決まって出てくるのが、「制限された条件の中でどれだけ妥当な議論をするかが、古典解釈やトロッコ遊びの哲学的な意義なのであ~る」という、僕に言わせれば単なる勉強不足の自意識を保護するためだけに捻り出される《屁理屈》(bullshit)だ。しかし、限られた条件で展開される議論が、われわれの現実の法的な問題にも限られた条件で適用できるならともかく、そんなことはありえない。「われわれの考えている『プライバシー』とは1960年代までのものなので、これを保護するべく個人情報保護法は解釈されねばならない」などと、いったいどこの法廷で弁護士に発言させるというのか。プライバシーはどれほど他の学問や学科で研究したり分析できようと、結局は法的なケースやシーンで力を持たなければ無意味であり、遊びにすぎない。

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