Scribble at 2020-05-25 09:37:37 Last modified: 2020-05-25 09:45:32

Taleb argued that the limitations of the human brain resulted in our species’ tendency to squeeze unrelated facts and events into cause-and-effect equations and then convert them into easily understood narratives. These stories, Taleb wrote, shield humanity from the true randomness of the world, the chaos of human experience, and, to some extent, the unnerving element of luck that plays into all successes and failures.

Jeff Bezos Talks About Writing and the Narrative Fallacy

もちろん、タレブの議論をそのまま持ち込むつもりはないのだけれど、僕も「因果関係」というものはヒトの認知機能の限界内にあって都合よく《でっち上げられる》何か(のためのフレームワーク)だと思っている。よって、結局のところ因果関係や因果法則が「実在する」という、竹尾先生を初めとする方々の理解は、非常に難しい。なぜなら、簡単に言えば《ないものを理解する》必要があるからだ。逆に言えば、それを理解するためには自分でも誰かに説明できなくてはいけないのだから、《ないものを説明する》ことが必要にもなろう。だが、幽霊がどういう物理法則で浮いているのかを殆どの人間が説明できないのと同じく、幽霊がどう浮遊しているのかを理解できる者などいまい。いるなら、僕に言わせればそれは単なる精神疾患である。

いっとき、意識についてデネットと誰かとが、お互いを精神病呼ばわりしていた時期があった。もちろん、それは間接的な当てつけであって、あからさまに病人扱いしていたわけではないのだが、もちろんこれも哲学ではタブーとされてきた論点であり、誰が幼児性愛者で、誰が同性愛者としての思考に拘泥していたのかという論点も含めて、まじめな哲学の議論どころか評伝ですら言及を避けられているようなことがらであり、いかに哲学というものがしょせんは文学女子か金持ち坊やかスノッブ老人の余技と同じものとして世間から冷笑されてきたかを物語っている。確かに、そういう論点を意味もなく「本音の議論」などと高らかに叫ぶ人間などは、幻冬舎には必要かもしれないが学問には不要である。しかし、だからといって無いことのように済ませるわけにもいくまい。

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