Scribble at 2020-01-26 10:32:50 Last modified: 2020-03-29 13:50:08

少なくとも義務教育課程を終えて歴史を勉強した人なら誰でも知っているように、とりわけ日本の歴史を記述したり説明するために使われている時代区分というものには、体系としての正確で厳密で妥当な根拠などない。個々の区分には、それぞれの事情や理由があるため、それを体系として整理することはできていないのである。僕が中学まで熱心に勉強していた考古学でも、typology という分野は、「形式」とか「編年」といった語句は多用されていながらも、実際には理数的な思考や成果が蓄積してきたとは言い難い。それこそ、現代ですら土器の分類には北斗神拳のような秘儀や秘訣があるとされたり、その基準を理数的に分析したり説明することには定説がないと言われたりする。したがって、いまだに考古学者はインディー・ジョーンズのような財宝探しや骨董屋のオヤジと同列に扱われたりする場合があるわけである。

考古学を勉強し始めると学部生でも気づくように、考古学や歴史学の時代区分なるものには、実は学術的に言って妥当な根拠など殆どない。冒頭で述べたように、余計な偏見を捨てられる中学生なら気づく筈だが(僕でも言っていたくらいだ)、例えば「縄文時代」とは表面に縄目の模様が付いている土器を使っていたとされる時代のことだと説明されるのだが、しかしそれがいつからいつまでなのかは分かっていない(ひょっとして、《縄文時代に》使われていたのかな?)。もしかすると、時代区分として当たり前のように理解している「石器時代」とか「弥生時代」とか「古墳時代」と呼ばれる時代の頃にも、土器の表面に縄目の模様を付けていた人たちや地域はありうるだろう。しかし、教科書的にはそうではない。なぜなら、縄目の模様は「弥生時代」には廃れてしまうからだ。つまり、縄文時代のものとされる土器よりも後の時代の遺物として推定される土器には、縄目の模様が使われなくなり、東京の弥生町と呼ばれた地域で発掘された遺物を基準とするような土器が普及する時代に移行するとされるからである。しかし、こうした遺物の材質や様式によって時代を区分することには、どういう正当化があるのだろう。単に制作する土器の違いというだけであれば、若者の流行が DC ブランドからユニクロへ変わったというだけのことでしかなく、それを「時代」の変化だと呼ぶのはセンセーショナリズムや大言壮語ではあるまいか。

もちろん、更に進んで考古学を学ぶと分かるように、縄文時代と弥生時代の区分には(いまでは明快な移行があったとまでは言えないとされているが)狩猟を中心とした移住生活から農耕を中心とした定住生活への大きな移行があったとされ、それゆえ当時の人々の生活に重大な変化があったことを示すための区分であるという正当化がある。そして、土器の模様とか成分や制作方法の変化というものは、他の遺物や遺構や環境の推定と同じように変化を被った結果の一つであると考えられている。それらの「共通原因」というべきものは、例えば気候の変化といった大規模な事象かもしれない。

しかし、こういう基準で時代区分をするなら、どうして他の時代区分も同じ基準を採用しないのか。誰でも知っているように、江戸時代から明治時代への移行は自然環境とは何の関係もないクーデターだ。奈良時代と平安時代の区別に至っては、遷都したというだけの違いでしかなく、本当に時代を区分するほどの根拠と言えるような変化があったのかどうか、まじめに疑ってもいいくらいである(実際、歴史学では平安時代を古代と中世のどちらに見立てるかの論争があるくらいで、これは平安時代になったから何かが劇的に変わったとは言えないという事実を表している)。また、古墳時代についても同じ疑問は当てはまる。そもそも古墳時代の「古墳」をどう定義するかによっては、幾らでも時代の幅を変えられるのだ。単に首長や国家元首(に準じて扱われる人々)が葬られた巨大な墓というだけの話であれば、普通は弥生時代の風習とされている方形周溝墓から始まって、昭和天皇が葬られている武藏野陵までを含めて何が悪いのかと言える。常識的には、朝鮮半島から伝えられたであろう工法で墳丘としての陵墓が作られ始めて、薄葬令により大規模な墳丘の造営が禁じられた七世紀中頃までを考える人が多いものの、では墓の造営という事情だけで一つの時代として区分してよい根拠は何なのかと問われて正確に答えられる考古学者や歴史学者が何人いるのか(墓の造営も、時代を区分するもっと大きな事情や原因を共通原因とした結果の一つにすぎないと説明できない限り、何の説得力もなかろう)。

したがって、このような事情に敏感は考古学者は、或る時期を表現するのに何世紀の中頃などと年代測定法などで判定された年代だけを使い、歴史学で言う「何々時代」という表現を使わないものである。

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