2019年09月07日 に初出の投稿

Last modified: 2019-09-07 08:12:43

Analysis の購読料を調べていた(そして、日本ではいくらかかるのかぜんぜんわからなかった)話を message に書いたが、学部生の頃から、もちろん Analysis や JP くらいは年間購読したいとは思っていたのだけれど、幸か不幸か関大で膨大な分量の雑誌を自由に読めるようになると、全くその必要を感じなくなってしまった。

あれはもちろん竹尾先生を始めとして哲学科が相当に力を入れた結果だと思うが、その当時は関大の図書館にない分析哲学・科学哲学の雑誌と言えば、Philosophical Studies と Canadian Journal of Philosophy と American Journal of Philosophy くらいのもので、Philosophical Studies は当時の最新号なら近畿大学の図書館にあったから、たまにお邪魔していた(いまは知らないが、当時は近大の図書館に入館するのは誰でも自由だった)。Canadian Journal は、今でもそうだが IF の低い雑誌であって、目にしている著書や他の雑誌論文の bibliography / references にも殆ど論文が refer されていないので、読めなくても気にはしていなかった。American Journal of Philosophy が関大の図書館になかったのは意外だったが、これは神戸大の図書館に一部があった(全てのバックナンバーは揃っていなかったが)。

それらを除けば、ERKENNTNIS, Synthese, BJPS, Philosophy of Science, Proceedings of the Aristotelian Society, Dialectica, Studia Logica, The Journal of Symbolic Logic, Mind, JP, Analysis といった、主だった雑誌は全てのバックナンバーがあったのだから、雑誌だけなら当時の関西圏では京大や阪大に匹敵すると言って良かったのではなかろうか。もちろん、神戸大のドクターに進んでも、残念ながら神戸大の図書館はそこまで雑誌は充実していなかったため、卒業生が関大の図書館を利用するための「交友会カード」というものを発行してもらって、たびたび利用していたものだ。ただ、それ以降は利用しなくなって15年くらいになる。連れ合いを連れて関大に行ったときに図書館へ入ったのが最後だったはずだ。

図書館を利用しなくなった理由の筆頭は、もちろん academic journals がオンライン化したからだ。しかもバックナンバーに関しては、何度か書いているが、例の2015年のクリスマス・シーズンに発生した「シュプリンガー祭り」と呼ばれた出来事の際に、SpringerLinks でホストされている哲学系の雑誌のバックナンバーを、ほぼ全て PDF でダウンロードしてしまったため、SpringerLinks でホストされている学術誌については、実は2015年くらいまでの論文の方が簡単にアクセスできてしまう(手元に全てあるのだから)。かえって2015年以降の Open Access でない論文の方が読めなかったりするのだが、中にはありがたいことに PhilSci Archive や arxiv.org へプレ・プリントを出してくれている人もいれば、良し悪しはともかく academia.edu で PDF を公開している事例もあるし、あまり大声では言えないが Google Scholar や CiteSeerX で勝手にアップロードされている PDF が見つかることもある。

こういう状況だと、まぁ購読する必要は殆どないと言えばない。もちろん、これは読みたいと思う論文がオンラインで見つからないという場合もあるにはあるが(マイナーな雑誌だとそうなる。たとえば先ほど紹介した Canadian Journal of Philosophy とか History of Logic の論文はそうだ)、逆に言うと論文が PDF で勝手に出回ってすらいないということは、やはり論文単体としての IF が低いということであり、はっきり言えば学術的な評価の反映でもあるから、さほど気にしていない。それに、そもそもアマチュアが研究するにあたっては、そういうマイナーな論文だとか最新の論文を血道をあげて探すよりも、古典的な著作物を買って読んだり、アンソロジーに収められている論文を読むだけでも十分だし、本来はそれだけのリソースでも一定の業績を上げるべきであると思い至ったのである。誰も読んでいなさそうな論文を《発掘》して新しい議論を始めるとか、知られざる(あるいは学界から冷遇されている)著者を掘り起こすとか、商業出版社の編集者でも、いまどきそんな自意識でソースを探したりしてはいないだろう。たとえば、アラン・バディウなんて科学哲学のプロパーは誰もまじめに著作を読んでいないと思うが、彼の著作をいまさら《発掘》なんて言ってもしょうがない。

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