Scribble at 2019-01-24 21:42:50 Last modified: unmodified

敢えてという条件付きで、僕は科学哲学を専攻していながらウィトゲンシュタインよりもハイデガーの方を重視すると公言してきたのだが、もちろんこんなことは全くの通俗的な身の処し方にすぎない。そもそも誰が最も重要だとか深いとか、そんなクズ議論をする暇があったら、分析哲学を専攻していようとヘーゲルの『精神現象学』くらい読むべきだろうし、現象学を専攻していようとファン・フラッセンの『科学的世界像』くらい読むべきだろう。

僕らは生物としての限界ゆえに、全ての過去の業績を十分に調べて何度も読み解くだけの時間はない。ただ一人の思想家が残した全ての著作物や手稿、日記の類を、関連する事情も含めて十分に読んで二次資料を調べたり自分なりの理解をまとめるだけでも、既に数多くの先人が生涯を費やして古典の研究に打ち込んできた事績を知っていれば、全ての思想家について同じことをするだけの時間など一人の人間には与えられていないのは明らかである。僕は、それゆえあらゆる学問は本質的に分業とならざるを得ないし、それで良いと言ってきた。このサイトでも自己紹介のページで書いているように、哲学に異常も正常もなく、それぞれの人が何事かを志して考え書き記した事績については、それが「○○哲学」のものであれ「△△学派」のものであれ、分け隔てなく興味を持っていい。

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