2018年11月06日 に初出の投稿

Last modified: 2018-11-06 12:24:52

僕らが携わっているウェブサーバの構築や管理、あるいはもっと広く言って論理的なデプロイメントの設計(物理サーバの配置とは別に考える)も含めたコンピュータ・ネットワーク通信のトポロジーを基礎にした分散コンピューティングと呼ばれる分野には、「CAP 定理」というものがある。これは、consistency(一貫性)、availability(可用性)、そして partition-torelance(分断耐性)という三つの特性の関係を表していて、CAP 定理が提唱された当時は、これら三つの特性を満たす分散システムが存在しないという否定的な内容ばかりが着目された。それゆえ、CAP 定理に従えば「どの二つを選んで実装するか」という単純な議論が横行してしまったのだが、CAP 定理を初めて 2000 年に提唱したエリック・ブリュワーによって、現在ではそのような取捨選択ができるケースは限られていると忠告されるようになった。(一つの理由は、分断耐性について、実際には単なる通信の遅延と通信データの欠損とを区別する合理的な基準がなく、どういう根拠で分断耐性を保証できるのかがはっきりしないためである。そして、分断耐性が明確に保証できなければデータの一貫性や可用性もまた、保証できているかどうかがはっきりしない。)こういう、提唱されたときは明快で直観的にはわかりやすいジレンマとかトレードオフとか関連性の高い事柄が、よく考えたら別のもっと基礎的な特性を共通原因としているだけだったり、実際には緊張関係にある幾つかの要素が成立しない(あるいは成立しない状況を考える方が困難な)事柄だったり、現実のコンピュータ・システムや通信ネットワークに適用される場合になって、初めて効用なり限界が分かる場合もある。

よって、マスコミによる単純化されたスローガンやセールス文句だけでものごとを判断するのは極めて危険であり、専門の研究者が提唱する議論ですら、どのていどの理想的な条件を想定して理論を定式化しているかを検討することなしに、字面だけで是非を判断することはできない。そして更に、単純な字面だけでものごとを判断してはいけない最大の理由として、判断する我々自身に、限られた条件だけで正確かつ適正な判断を下す見識や情報や判断力があるとは限らないという点を強調したい。

上記のような、多くの場合には「見かけのトレードオフ」になってしまうような関係を単純な定式化によって述べ立てることには、まず第一に人の注意を引き付けるというパブリシティの利点があるため、これを口にする人物が無能であればあるほど、そういう定式化の要求する条件が実際には限られているということを無視するようになり、どんどん色々なことに当てはめるようになる。その結果として概念の濫用が生じ、観念に過ぎないものでも概念として何か自然の特性をもつかのように扱われるようになってしまう。そういう、「マーケティング」のようなただの不勉強な人間による誤用というだけではなく、本質的に概念の濫用だと言えるようなものは、「進化」など限られているとはいえ、人の思考に強い影響を及ぼす観念になってしまっているため、ものごとを正しく考えようとするインセンティブや動機が弱い大多数の人々はもとより、学術研究者や哲学者であっても再考を促すのは難しい。

CAP 定理など全くの一例にすぎないが、こういう見栄えの単純なフレーズに魅力を感じたり、単純な関係を発見して「誰それの定理」などと呼んでもらって教科書に名前を残したいという通俗的な名声欲をもっている学術研究者は、一般人が思っているよりも多い。したがって、科学者であろうと哲学者であろうと、概念を図式として単純に配置して説明できるような学説や理論を打ち建てたいという欲求があるため、通俗的な哲学解説書の大半が臆面もなく採用する、イラストや図式による概念の関係というものは、寧ろどうしてそういう図式として提示できると思っているのかを著者に問いただす方が学術としては有益な議論ができるとすら言えるほどだ。あるいは、そのような修辞的な技法を無批判に使っているからこそ、脱構築批評などによって読み替えられる余地を生み出してしまうのだとも言える。(実際、同じことは科学哲学において無批判に記号論理や数学の式を持ち出すことにも言えると思う。)

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