2018年09月19日 に初出の投稿

Last modified: 2018-09-19 22:26:11

というわけで、服部さんの『言語哲学入門』の第4章を読んだ。やはりどうも納得がいかない。

まず固有名に対象がなくてはならないという議論に「シャーロック・ホームズ」という事例を持ち出して、このような人物は実在しないのだから、固有名が指示対象を必要とするという議論はダメだと言う。しかし、「シャーロック・ホームズ」は本当に「固有名」と僕らが読んでいる言語的な機能と同じ何かだと言っていいのだろうか。確かに、外形的には「河本孝之」と「矢吹ジョー」はどちらも人の名前であり、一見すればどちらも固有名だ。しかし、前者には「河本孝之」という固有名で(いまのところは)指示できる具体的な対象が「ある」のに対して、「矢吹ジョー」には具体的な対象がないという。でも、それなら僕が死んでしまえば「河本孝之」は固有名ではなくなるのだろうか。「矢吹ジョー」でもって或るマンガの絵柄を指示しているとは言えないのか。僕には、「河本孝之」や「シャーロック・ホームズ」が固有名であるかどうかを問うている構図や脈絡そのものに納得がいかない。

次に、指示対象が現実になくても固有名が意味を為すようにするしかけとして、おなじみの確定記述が出てくる。

(ιx). x は日本人である . x は某社の CPO である . x は philsci.info の運営者である . x は男性である

といったものだ。そして、確定記述だと人によって記述の内容が異なる可能性があり、それぞれが異なる記述の当てはまる人物を固有名で語ることになってしまうという。そして、服部さんによると、それは由々しきことらしいのだが、そうだろうか。これに対する発展形としてのクラスター理論にも言えることだが、我々は誰しもどういう固有名で語られる人物や事物についても、誰かと一致する記述などもっているだろうか。それどころか、或る固有名の確定記述を大量に集めたとして、その最大どころかそもそも公約数的な特徴が全くないという可能性だってあるのだ(つまり必要条件が存在しない)。なぜなら、固有名というものは社会つまり他人とのコミュニケーションで使われるのだから、A さんと B さんで同じ人物を意味できていれば、両者に一致する確定記述の内容が B さんと C さんで同じ人物を意味する際に一致する確定記述の内容と違っていてもコミュニケーションは成立するからだ。もちろん、多くの場合には必要条件と言えるくらい殆どの人どうしに一致している項目があるとは思うが、そのような状況は特異でもなければ安定しているわけでもないと思う。

先の Note で、固有名を哲学の問題として考える理由がいまいちわからないと言ったのはこれが理由だ。このようなことを解決するのは社会言語学や認知言語学であって(あるいは個人の特定という脈絡で言えば個人情報つまりは情報セキュリティの話だとすら言える)、そもそも僕らが安易に「固有名」などと言っている言語の機能が安定して「ある」と言っていいのかどうかは自明ではない。本来、哲学として問うべきなのはこういうことであろう。

あと、服部さんの議論の仕方として(教科書的であるのは仕方ないが)、一定の議論を示した後でかなり簡単に「これは直観に反する」と片付けるのはどうかと思った。実験哲学の脈絡とは別に、僕にはもともとこの「直観に反する」という表現が説得力をもつようには思えないからだ。

それから、徳川家康の事例を使って可能世界意味論の話に触れておられるので、ここでも書いておこう。既に述べたように、確定記述の理論で言えば全ての人に共通した特性、つまり「A」が A という唯一の事物を指示したり意味するための必要条件が存在しない可能性がある。しかるに、徳川家康が関ケ原の戦いで敗退していたらどうかと想定したときに、徳川家康の確定記述に「関ヶ原の戦いで勝った」という特性があるために矛盾するという議論が紹介されているのだが、これは全く問題にならない。僕らは、関ヶ原の戦いで勝ったという特性どころか、関ヶ原の戦いに参戦したという特性を取り除いても「徳川家康」で特定の人物を意味し得るからだ。もちろん、彼の事跡が残されていなければ知り得なかったかもしれないという現実的な理由もあるにはあるが、それだけではなく、彼の事跡を全て知っていたとしても、そんな特性を固有名の必要条件にしてしまうと、例えば「子供の頃の徳川家康」という表現は「何歳になってから関ヶ原の戦いで勝つことになる特定の或る人物」といった記述を要求することになる。すると逆に、未来に起きることを知っていなければ確定記述が成立しないというのであれば、いま生きている僕らの固有名は確定記述を持ちえないということになる。

もちろん、ここでクリプキと同じように指摘して、将来に起きることも含めて必要条件がともかく何かあるとすればよく、それが将来にならないと分からないから確定記述など持ちえないというのは、必然性とアプリオリを取り違えていると言い得る。しかし、おおまかに言うと、可能世界意味論において固有名がそういう必要条件をもっているという意味で rigid designator だというのは、はっきり言えば論点先取である。

固有名にまつわる議論が認識論や存在論のどちらにも関わるテーマであり、その関わり方について理解できたので、これは一つの収穫だった。しかし、指示の理論については30年前に感じた印象と同じだ。

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