Scribble at 2018-07-28 07:58:04 Last modified: 2018-07-28 08:09:00

一般財団法人「統合学術国際研究所」(所長:山脇直司)は、宗教・科学・哲学等の知的伝統を通じて備蓄された人類にとっての普遍的思惟の成果をつねに問い直し、世界の変動に対応する新しい思考の枠組みをたゆみなく目指す「統合学」の研究を推進しています。

統合学術国際研究所

僕も考古学をやっていた中学時代に、恩師の森浩一先生や瀬川芳則先生から、考古学をやっているだけでは不充分なのであって、人類学、生物学、地層学、鉱物学、水理学、気象学、あるいは国文学など広範な知識がないと駄目だと言われたものだ。実際に彼らがどのていど他の学科の素養を持っていたのかは知らないのだが、少なくとも瀬川先生は大学で考古学の他に文化人類学の講義をされていた。そして、僕の関心が哲学になっても、そういう影響は続いていたので、上記で紹介したような、平たく言えば「文理統合」のようなアイデアは高校時代にあれこれ想像したものだ。想像だけなら、別に灘や開成の高校生でなくてもできるわけだけど、それを高校時代に何らかの範囲と水準で実行に移せるかどうかは別だ。なので、実際にやってみようとしている彼らには一定の敬意を表してよいと思う。少なくとも、論集には伊東俊太郎さんや野江啓一さんも入っているわけだし。

最初、この研究所の話は前所長の池田善昭さんという方が書いた『西田幾多郎の実在論』という新刊書からたどって見つけたのだった。西田の後継者を自称し、またぞろ人間関係だけで続々と馬鹿げた本でも出版できるラッキーなだけの人材の一人なのだろうと、いつものように「へぇ、哲学者ねぇ」とハナクソをほじりながら眺めていたわけだが、考えてもみれば凡人なんて人間関係でしか出版できないのだから、これはこれで昆虫が餌を採るのとなんら変わらない平凡な自然現象の一つだ。同じく凡庸な生物の個体にすぎない僕が、何を偉そうに侮蔑する必要があろうか、と思い直した次第だ。

この池田さんという哲学者はもともと大学ではライプニッツを研究されていたらしく、なるほどライプニッツのような多彩な人物に魅力を感じる人が(何もコンプレックスとは言ってない)、数多くの学問を手中に収めたいと願うのは無理も無い話だ。ただ、一つだけ感じることは、やはりライプニッツの著作は翻訳書の殆どが非常に高額な著作集としてしか手に入らず、安価に手に入る著作にしても、カビが生えるほど古い岩波文庫か、しょせんは一部でしかない中公クラシックスでしか読めないという、日本のライプニッツ研究の裾野の狭さがどこかで災いしているような気はする。どのみち専門の研究者なんて、ライプニッツだろうとヒュームだろうとカントだろうと、日本にはそれぞれ指折り数えるていどしかいない。しかし、裾野が狭いと裾野に無能しかいないというリスクがあるわけで、その中からただの外国語秀才だけが残ると、専門の研究者が5人いても5人が全て無能という可能性があるわけだ。よって、初心者の受け皿になるような通俗書はバカとか、あるいは哲学をする必要が無い人々に合わせてものを書いてはいけないし、古典の翻訳は主要なものを安価に提供しないと、有名な哲学者というだけで研究コミュニティに外国語が堪能というだけの無能が集まってしまうことになりかねないのだ。

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