2018年05月21日 に初出の投稿

Last modified: 2018-05-21 15:40:34

小さい家に住むブームがナノサイズにまで過激化–光ファイバーの先端に家を

記事そのものはどうでもいいが、記事を眺めながら、われわれ宇宙に生きている生物がどうしてこの大きさなのかという問いを思い起こした。

この問いは人間原理と結びつけられやすいが、実は fine-tuning の概念とは関係がない。なぜなら、存在論として問う場合には、特定の「この大きさ」である原因を人間原理のような議論で説明しても意味がないからだ。そうではなく、存在論において強調されるべきなのは、「特定の」この大きさになっている必要があるのかないのかという話である。もちろん物理学や数学によって探究すれば、前者の議論は説明し得る可能性があろう。それが人間原理にもとづいていようといまいと、何らかの原因は分かるかもしれない。しかし、そういう議論をどれほど続けてみたところで、そもそも自然法則とかエネルギーの基本的な単位などが「何か特定の条件によって決まらなくてはいけない」のはどうしてなのかという問いには答えられない。なぜなら、前者の問いは「そもそもなぜ宇宙は発生できたのか」という問いへの答えにはなるが、「そもそもなぜ『発生する』ということが成立できなくてはいけなかったのか」という問いへの答えにはならない。そして、存在論がまさに究極の問いと呼ばれるのは、この違いが正当な相違だからなのだ。

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