Scribble at 2018-03-07 17:07:19 Last modified: 2018-03-07 20:57:18

今日紹介した「量子力学の哲学―非実在性・非局所性・粒子と波の二重性: 森田 邦久」(Kindle版)は、これまで提唱された量子力学の解釈には、どのようなものがあったかということを参考までに知りたいという方がお読みになるとよいのだろう。2011年に書かれた本であり、最新の量子力学の成果を反映していないということを念頭に置いて読むべきである。

量子力学の哲学―非実在性・非局所性・粒子と波の二重性: 森田 邦久

科学哲学であろうと哲学であることには変わりがないのであるからして、科学という営みについて一定の配慮をしたうえでコミットするのはいいとしても、現行の学説、つまりは "received view" とか "successful theory" にまでコミットするべきかどうかは自明とは言えない。なぜなら哲学としての見識は「そこから」帰結するわけではないからだ。

こういうことを理解していない哲学プロパーは、常に「哲学は科学とは違う」と言って、デカルトやカントやプラトンやフッサールが当時の科学にコミットしていたことを忘れて、ただの不勉強の言い訳を「純粋な哲学的態度」などと言い訳してきたんだよね。単純に、やったことがないか苦手な勉強をしたくないだけだろう。僕も数学や物理や化学の勉強は苦手だし全く研究者としての素質はないけれど、バカだからと言っても分からないことを分かりたいという単純な興味が失せたりはしない。そして、何であれ分かる範囲で考えたらいいのだ。「物理学博士号を持っていなければ量子力学については語れない」とか言ってる連中に限って、その大多数は、量子力学の哲学どころか量子力学そのものについてすら何の業績も試論も公表していない無能だからだ。SNS を見れば、そういうクソみたいな連中、あるいは自意識だけで科学をやってる無能なんて世界中にハエと同じくらいいるのが分かる。

恐らく森田さんのような方は、自分が抱いている関心事について探究する仕方として、哲学だろうと物理学だろうと区別する必要を感じていないからこそ、両方のアプローチにそれぞれ学ぶという経緯を辿ってきているのだろうと思う。およそ、物理学者でも哲学的思考というものをすることがあるし、逆に哲学者が物理学者と同じように物体について考えて悪い筈がない。現今において「哲学」とか「量子物理学」などという区分けがあるのは、単なる大学の学科という制度的な事情や研究コミュニティといった、歴史的・社会的な理由でしか説明できないのであって、そこに哲学的な根拠づけとか自然科学からの論証など不可能だし不当というものだろう。したがって、この本が2011年に書かれたという事実によって、時代遅れかどうかという観点でしか評価しないというのであれば、それこそアインシュタインやボーアの書いたものなど一行たりとも読む必要はないということになるし、はっきり言えばこのブログ管理者が医者のお仲間と一緒に暇つぶしとして安楽椅子で取り上げている本の大半は紙クズということになる。他の分野についても、だいたい1990年代より前に書かれた男性作家の小説など、女性差別主義者が捻り出したウンコみたいなものだという結論にならざるをえない。

そうじゃないと思うんだよね、いちおう。そして、ブログ記事の筆者らもそうは思ってないとは思うんだよね、いちおう。

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