2018年01月28日10時49分 に初出の投稿

Last modified: 2018-01-28 11:18:37

・「カント・哲学早わかり | Philosophy Guides」

・「カントの哲学をわかりやすく解説|『純粋理性批判』『実践理性批判』を読む 」(ちなみに書名をシングルクォートで囲んでいる)

・「カントの哲学理論【倫理】」

・「たぶん世界一簡単な『純粋理性批判』からの学び方。」(記事のタイトルに句点とか、あなた糸井門下ですか?)

「カント」で検索すると、だいたいこの手のページが上位に出てくる。ウィキペディアのエントリーですら上位10件に入らないくらいなので、いかにこういうページが(読まれているかどうかはともかく、被リンクやキーワードという点で)SEO として強いのかが分かる。もちろん、大学受験の一環として詳しく解説するという向きには大して問題もなく、しょせんは入試が終わったら忘れてしまうような話で、当人の人生設計や進路の判断に重大な影響を与えるわけでもなかろう。

そして、哲学科に進みたいと思っている高校生の諸君にしても、既に『純粋理性批判』を(どこまで分かるかどうかはともかく)一読して、この手のページが文字通り1ページで説明するために過度の短絡になっていて、哲学的には殆ど無意味であることくらいは既に察しがついていることだろう。となれば、受験はともかくとして、こんな通俗解説に何の意味があるのだろうか。単純には、これらは「啓蒙」活動の一つだと説明される。しかし、こういう文書をばら撒いて人がカントなり哲学なり、あるいは実質的に哲学的に考えていることになるような思考へ促される可能性など、古今東西、誰も実証したことはない。そして、歴史が我々に教えるのは、まさにその逆である。少なくとも通俗的な啓蒙というのは無駄であって、それどころか、これらの乱造される短絡した「解説」こそが多くの人々を哲学的な思考から遠ざけているのではないかという疑いであろう。

そもそも、サラリーマン A 氏がカントの哲学について(学ぶかどうかはともかく)知ろうとする経緯は何だろうか。ふつう、殆どの人にはカントの哲学を知るべき理由や動機がない。したがって、このようなページをそもそも検索するわけがないのだ。そして、既にカントの哲学に興味をもって勉強している学生なら、こういうページを検索して読む必要など感じていないだろう。こんな1ページていどで軽くまとめただけの通俗的な解説など、それこそ哲学史の教科書で嫌と言うほど読んでいるからだ。しかも、これらを書いているのは、早稲田の学生だったり、学位を持っているのかどうかも怪しい塾講師だったり、あるいは端的に言ってただの素人だったりするのだから、その信頼性も低い。こうしたページを「○○の思想」などと称して大量に作っている人々は、要するにウィキペディアとか哲学辞典の解説を自分の言葉でまとめなおしたりするのがうまい「情報処理屋」さんではあるが、学問的な才能があるかどうかは全く分からない(そして、得てしてこういう人々は外国語秀才だとプロパーになったりする場合もあるが、もちろんロクな業績を残せない)。

つまり、こういうページは当人たちの「メモ帳」だと思っておけばいいのかもしれないが、大量のメモ帳を売りさばいて何かしたつもりになっている人々も多いのは困ったことだ。

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