Scribble at 2017-11-02 07:01:48 Last modified: unmodified

哲学っぽい単語を並べたブログ記事を検索で見つけたというだけで RSS を購読したり、本人の Twitter アカウントをフォローするのは、色々な意味で無駄というものである。実例は幾つかあって、実名を出すのは気の毒なことかもしれないが、たとえば「ヤマダヒフミ」というユーザは伊藤計劃についてあれこれ書いているようだが、あたかも伊藤計劃が独創的な personality の理論をもっていたかのように驚いて見せたり、いかにも基礎的な自然科学や哲学の勉強が不足しているが、書いている文章は哲学っぽいことを語っているように見えるので、こうした文章や概念操作にコンプレックスを持っている人を引き寄せ易く、そうした人々と一緒になって「ああ、わたしたちは、こんなにも高尚な話題を易々と語ってみせられるようになったのだ」という、カルト的な恍惚感を共有するようになる。

バカは、何人集まってもバカであり、集合知など絶対に生まれない。凡人が1億人集まっても、決して相対論や不完全性定理など考え付くものではないのだ。しかし、ヒトの中には特異な才能をもつ者も現れるので、色々な考えや才能やスタイルつまりは個性を認めておいた方がよいのである。

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