Scribble at 2026-09-28 07:33:18 Last modified: unmodified

添付画像

群馬県太田市の住宅で52歳の母親が刃物で刺されて殺害され長男も切りつけられた事件で、27日に逮捕された長女の30歳の元夫は、現場から逃げたときとは違う服を着ていたことが警察への取材でわかりました。

群馬女性殺害事件 逮捕の元夫 逃走中に服を着替え靴履いたか

NHK のニューズ番組がワイドショーになってるなんて話は昔から言われているし、厳格なジャーナリズムやメディア・リテラシーの立場から言えば、少なくとも日本とか言われている文化的後進国においては、ワイドショーではなかった「報道番組」なんてついぞ存在していなかったとすら言えるはずだ。なので、殺人事件の容疑者が逃走中に「着替えていた」なんていう極め付きの瑣事を、いちいち報道と称してトップ・ページに掲げる愚劣さや未熟さや幼稚さの自覚が全くない。

出版・報道・マスコミの人々は、二言目には「民度の反映にすぎない」とか「視聴者のニーズがどうの」と責任転嫁の減らず口をテンプレのように繰り返すわけだが、しかしそのテンプレ思考こそ、そういう悪循環を当事者の自分たちによって止められまいかという発想や気概すらないことの証左というものだ。

もちろん、これらの中には報道として僕らが有効に利用できる情報もあるわけで、それゆえニューズなんて知らなくてもいいと豪語したりできないし、メディアなんて俺の人生や生活のノイズにすぎないと言ってのけるわけにもいかないのだろう。しかし、こいつら報道機関や出版社のやっていることは、「リンツのチョコレート」と称して、四つのうち三つはウンコの塊を混ぜているようなものだ。しかるに、ヘッドラインだけで分類して拾い上げるという、検索エンジンのやってきた「パーソナライゼーション」は、皮肉なことに有効なゴミ掃除でもあったわけだ。

しかし、ご承知のように「パーソナライゼーション」というのは一般論としてインテリには受けが悪い。彼ら曰く、"daily me" と呼ばれた頃からの、これまたテンプレみたいな批判として、パーソナライゼーションは視野狭窄を引き起こし、やがてはエコー・チェインバーによる陰謀論や反知性主義へと至るようなリスクを抱えているという。自分が見たいものや知りたいことだけをかき集めるような、コンフォート指向の情報収集を続けていると、イエスマンに囲まれた為政者が暗愚になるのと同じく、身の程知らずや世間知らずが量産され、結局は犯罪者や政治家や広告代理店やマーケティング業者やコンサルの意のままに動くロボットみたいな人間になってしまうだけだというわけである。

しかし、はっきり言ってこれは馬鹿げた極論である。人はそもそも、メディアのコンテンツが自分の背景知識や興味や立場といった属性に最適化してパーソナライズドされていようがいまいが、読んだり観たりするコンテンツを取捨選択しているものだ。NHK や民放や全国紙のサイトで、どれほど熱心に芸能人の動静やド田舎の祭りの紹介やサッカーの試合結果を報道していようと、そんなものは最初から読まない人は読まないし、それで人間性が劣るだの偏るだのと言われる筋合いはないのである。実際、メディアのサイトで芸能人の噂話ばかり眺めている人間に限って、低所得者層であり学歴が低いのは、社会学者が調べなくても常識であろう。そして、そういう人々の多くは投票にも行かないので、投票しないという意味で一定の政治的な役割を果たしてしまっている人々でもあるのだ。

つまり、メディアの側で何らかのアルゴリズムによって行うパーソナライゼーションは知性における下方圧力となるリスクはあろうが、ユーザ自身がメディアを選択して野球の試合結果はいらんとか、アイドルが枕営業していたとか、そんなことはどうでもいいと切り捨てることにリスクなどないし、寧ろわれわれはそれをやることによって「下らない話題は取材する価値もない」のだとメディアを牽制するべきなのである。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る