Scribble at 2026-06-30 09:39:10 Last modified: 2026-06-30 11:32:48
アメリカの名門・ブラウン大学の教授が、自身が担当する数理経済学の試験で大規模な不正があったという話を海外メディアのEL PAÍSに共有しました。試験を自宅持ち帰り方式から対面方式に切り替えただけで平均点が大幅に下がり、持ち帰り試験で満点を出した学生のほとんどは対面試験に出席してこなかったといいます。
おっちゃんは「哲学者」と名乗ってるわけだし、たまにはそれらしい議論をしておこうか。
生成 AI を何かの勉強に使うことを、もちろん禁止する必要はない。だが、その使い方を工夫しないと、ぜんぜん勉強したことにならず、ただ単に生成 AI の使い方を覚えるだけになってしまう。では、どういう使い方が効果的で、「勉強したことになる」ための有効な使い方なんだろうか。おそらく、その基準はかなり簡単だ。つまり、そこで生成 AI を使うことがインチキになるかどうかという基準で考えたらいいのだ。
上の記事で紹介されているのは、ブラウン大学で数理経済学を教えている人物が遭遇した事例だ。ひとまずここで話題にしているのは何かの勉強なのであるから、知識や技能として何かを自分の身に着けるということが目標のはずであり、それがあるかのように他人を騙すための手練手管やパフォーマンスを、新宿のホストやリクルートの営業マンみたいに磨くことではないはずだ。すると、どういうときに生成 AI を使うと、勉強せずに何かを達成してしまったのと同じになってしまい、インチキになるのかと考えればいい。
もちろん、教科書を読むことはその一つだ。教科書の電子書籍版を Gemini の画面にアップロードして済ませる。これは、もちろん教科書を自分で読むことではなく、自分が読む代わりに Gemini へ覚え込ませただけのことだから、インチキというものだ。そして、その Gemini を使ってテストの問題を解くなら、たとえ問題を解くときの参考にだけ Gemini に質問したとしても、自分で読んでいない教科書を覚え込ませたという前提で Gemini に質問するのだから、やはり少し使うだけでもインチキであろう。その教科書について知っている誰かに、少しでも教えてもらいながら問題を解いているのと同じなのだから。
では、どういう使い方であればインチキにならないのだろうか。それは、その教科書に書かれている言葉だけでは分からない場合だ。「トレード・オフ」という言葉が教科書であれこれと説明されていても、いまいちピンとこないとか、そもそも教科書の説明が難しくて理解できないときに、生成 AI へ言葉の意味を尋ねたり、トレード・オフにはどういう事例があるのかを質問するのである。すると、チャッピーや Gemini ていどのサービスであれば、教科書の PDF をアップロードしなくてもトレード・オフの事例を教えてくれる。たとえばチャッピーに質問すると、「あるものを得る代わりに、別のものを犠牲にしなければならない関係」のことだと説明してくれた後に、具体的な例として自動車の性能設計では燃費を良くすることとパワーを強くすることのあいだにトレード・オフがあるし、車体を頑丈にすることと燃費を良くすることのあいだにもトレード・オフがあると紹介してくれる。つまり、教科書に書かれている内容を自分が分かるようにすることは、インチキではない。そもそも、教科書の内容を(教科書の内容が全て正しいという保証はないにせよ、できれば余さず)学び取ることが教科書を読む目的であり、それを十分に達成するための補助として生成 AI を使って何がいけないのか。
このように、生成 AI は寧ろ使うべきだと言いうる用途すらあるが、それでも簡単にインチキにも使えてしまう。したがって、生成 AI を使うかどうかだけでなく、どう使うかも自分で決めている以上は、自分で方針を決めて使うことが望ましいし、現代の「読み書きそろばん」と言ってもいいコンピュータ・リテラシーやネット・リテラシーに加えるべき「AI リテラシー」というものになるのだろう。
でも、哲学というのは、もうちょっと議論を続けたくなる人がやるものでもある。しつこいわけだ。そうすると、次に問題となるのは、インチキでもうまくやればいいじゃんという人をどう説得すればいいかということだろう。ブラウン大学の学生は(Big Bang Theory のシェルドンいわく、プリンストンの学生よりアホだし)間抜けだっただけだ。うまくやれば教授を騙すことだってできるはず。そして、優秀な評価をもらって就職したり、会社でもリモート・ワークを活用して生成 AI で楽をしたりインチキしてボーナスをもらっていれば「勝ち」だ。どのみち何の会社だろうと、ズルいことやセコいことをやって他人から金を巻き上げてるだけの連中なんだ、俺が賢く会社からお金を巻き上げたところで何がいけないというのか。30年ほど続けて、あとは年金をもらいながら、しょーもない田舎で気楽に生活できたらいい。それまで生成 AI を使って何とか切り抜けるのが、いまどきの賢い生き方ってもんじゃないのか・・・そういう気分の若者がいても、おかしくはない。
現実にこういう生活が実現しやすいのかどうかと言えば、恐らく難しい。生成 AI だけで自分が全く大学で勉強していない事実を取り繕うには、まず専門職や研究職には就けないので(こういう職能でリモート・ワークだけで働けるような業種は存在しない)、大学でなんにも勉強していなくても就職できる業界や業種あるいは職能で、それなりの給与が出るところへ一般職や事務職として就職するしかない。だが、そういう職能であっても、個々の企業や組織には独自のルールや手順というものがあるので、それを AI エージェントに自動処理させて任せられるまでトレーニングするためのデータが必要であり、それには一定の経験を積まなければ教えてもらえず任せてもらえないような作業もあるので、最低でも3年は生成 AI なしで業務に携わる必要がある(逆に言えば、どういう業種や業界のどういう組織であろうと、そういう経験すら必要なくて、いきなり作業を任されても対応できる AI があったら、もうその企業は新卒採用なんてしないだろう)。
では、その3年間さえ我慢すれば、あとは生成 AI に任せられるのかというと、そういう作業もあるとは思うし、現に僕も一部の作業は AI で済ませているから実感として分からなくもないが、やはり上司に提出する成果を何の確認もなしに出せるほどの品質はない。現在の、最高と言われる AI のサービスですら、画像の編集は2割くらいがガラクタみたいなものを作るし、文章を書かせると平気で出鱈目なことを書いてくる。それでも、いまや8割は使える品質に達していて、しかもそれを数秒でレスポンスするのだから、このこと自体は驚くべきことであり有効だと言える。それでも、8割はいいが、残りの2割はだめだから、その2割を再び補正して、更にその中でも2割を再び補正して・・・と繰り返せばいいのかというと、実際にはそんな単純なやりかたで完璧な成果になるわけでないのは、誰でも経験があるだろう。
もちろん、多くの人には、その残った何パーセントかの間違いや不完全は見抜けないかもしれないので、実務的には「どうでもいい」と割り切ってしまえることもあるのだが、そういうことを放置したり、あるいは長く続けていると、小さな歪みが積み重なって破滅的な結果をもたらすこともあるのが、アルゴリズムの恐ろしいところだ。そして、生成 AI なりディープ・ラーニングの難しさは、その恐ろしさを抑制するために必要な手段が正確には専門家にも分かっていないところにあるのだ。