Scribble at 2026-09-01 20:17:40 Last modified: 2026-09-02 08:29:54

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[Copilot の要約] AIが最も代替しにくい仕事は「良い文章を書くこと」である。その理由は、文章を書く行為が曖昧で、評価が主観的で、読者の心を理解する必要があるという、AIが本質的に苦手とする性質を持つためだ。画像・音声・動画モデルはスケールで性能が伸びたが、文章モデルは表現・深み・本物らしさで停滞している。LLMの文章は、ロボット的なリズムで、使い古された語彙だらけで、魂のないスロップになりがちである。数学やコードは明確な仕様と自動検証があるためAIが強い。それに対して、とりわけ文学的な文章は仕様が曖昧で、評価は読者の主観に依存するため、AIが最も苦手とする領域だ。良い文章には読者の心のモデルが必要である。つまり、読者が何を知っているか、どこで負荷が高まるか、どう感じるかをリアルタイムで推測する必要がある。だが、LLMは次の単語の統計的予測にすぎず、読者の心についての仮説を持ちえない。目の前、あるいは空想の中に読者がいないからだ。AIは大量生成が得意だが、人間の希少な認知資源を使うべき場所は AI が苦手な領域である。良い文章は、高コストで偽装不可能な信号になり、これからますます価値が上がるであろう。

The Safest Job from AI may be Writing

だが、この記事を取り上げている Hacker News のスレッドでは、次のような理由で大半のコメントが記事の内容に批判的である。もしくは、否定しないまでも記事の著者は楽観的すぎると言っている。

まず第一に、既に多くのプロのライターや作家という書き手が仕事を失っている。日本においても、殆どコピペとしか思えない「なろう系」の作家なんて、あと数年で出版社の編集が自分のパソコンで原稿を幾らでも生成できるようになるだろうから、ラノベなどというジャンルそのものが消えてなくなるかどうかは知らないが、少なくともラノベ作家という職業は駆逐されるであろう。

第二に、現実の writing の業界は「良い文章」が必要ない仕事が大半なのである。こう言っては気の毒だが、現代の新聞や雑誌あるいは自称メディアどもに掲載されている文章なんて、しょせん AI の吐き出したデータで十分だと判断されているし、それでコストが下がるならラッキーだとすら思っているメディア経営者は多かろう。だって、あいつらサイコパスだもん。たとえ悪意がないとしても、彼ら WELQ や tabi labo みたいなメディアの経営者にとって職業人の矜持なんてものは理解不能だろう。

第三に、翻訳や技術文書やコピー・ライティングなどという、既に生成 AI が大規模に侵食している領域が拡大しているという事実もある。その昔、アインシュタインの評伝を機械翻訳の画面からコピペして本を作った出版社があった。当時は多くの人々から非難されたものだが、いまや大半のプロの翻訳者すら AI で下訳を作らざるを得ないほど単価が下がっており、自動翻訳のコピペという逸話を笑ってはいられない時代になりつつある。

第四に、AI が生成する文章の質は低いけれど、企業は質よりコストを優先するものである。SEO や AIO という観点からも、彼らは膨大なゴミをまき散らしながら、そのゴミで検索結果や AI のレスポンスを汚染できれば「勝ち」なのである。多くの企業が、いまだに SEO などというクズみたいな技法を「マーケティング」や広告宣伝の一つだと錯覚している限り、このような傾向は AI の産業がどうなっていこうと関係なく続くであろう。

それから第五に、なるほど人間の文章の価値は残るかもしれないが、職業なり収入としては全く安定しないであろう。いわば生成 AI の性能や実装がどうなるかという相対的な状況の変化に応じて、食えるか食えないかが決まってしまうと言わざるを得ない。自立した価値は持てないであろう。

僕も、これらの反論には同意せざるを得ないと思う。何年後かの生成 AI が『白夜行』と同等の魅力的な作品を書けないという保証はないし、それどころか人間の「打率」を大きく凌駕しないという保証もないと思う。人間の「打率」なんて、しょせん直木賞や芥川賞の作家であっても、その大半が受賞作すら忘れられてしまう運命にある中で、生成 AI は実質的にノベール文学賞の水準に達するようなテキストを続々と吐き出す可能性を否定できる根拠は、いまのところないと思う。これは、僕自身が AI で画像を作っていて感じることでもある。

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