Scribble at 2026-06-19 17:57:53 Last modified: 2026-06-20 07:59:42

なんで栄養学の記事を続けないのかと思っている人がいるかもしれないが、正直なところ面白くないからだ。そもそも、栄養学という学問そのものが、科学哲学者という観点から言って、身体に良いの悪いのと雑な議論を繰り返してパブリシティやイニシアチブ争いをしているゲスな学問という印象がぬぐえない。しかも、研究者の中には(或る人に言わせれば「大半」とすら言えるらしいが)食品メーカーの紐付きでしか研究ができない事例もあるという。そら JT から金をもらっていれば、タバコが無害であると論文に書くほどの傲岸不遜でなくとも、その害を過小評価するような set-up の実験や統計操作をしたくもなろう。

そして、状況証拠というものもある。大型書店に行って医療・看護のコーナーあたりをご覧いただくと、栄養学のテキストが並んでいるのを見つけるだろう。そして、それらの体裁がオーソドックスというには程遠い通俗本や雑書ばかりであることも見出すに違いない。実際、栄養学のテキストなんて、それこそ栄養学の本を作っている出版社からしか出ていないと言えるほどだ。自然科学の、あるいは独自の価値や成果を認められた学術研究分野であるなら、岩波書店とまではいかなくとも、自然科学系の一般書も多く出している理工系の有名な出版社から出ていてもいいはずだろう。これはつまり、栄養学の教科書とは自費出版レベルの書籍だということである。(わずかな例外として『カラーアトラス栄養学』のような翻訳書もあるにはあるが、これとて自然系の教科書と言うにはあまりにも小さな本であり、管理栄養士のレビューブックにも届かない体裁だ。)

既に公開している文章を作ったときは、試しにオンラインで手に入る海外のテキストや論文などを元に NotebookLM に一節ずつ下書きを出してもらってから、僕が文章の内容を比較したり一貫性をチェックしたり文体を整えたりして「栄養学を学ぶ / I: 栄養学とは何か ― 生命維持から地球環境まで」を完成させたのだけれど、これを基礎にあたる生化学を掘り下げたり、応用に当たる人体生理学や調理学などに展開していくと、失礼な話になるが既存の日本人が書いた栄養学の教科書を凌駕する内容になってしまう気がして、やる気が失われてしまった。なぜなら、僕のような栄養学の素人が多くの資料をまとめただけで一定の水準に達するテキストができてしまうなら、栄養学の学生こそ、それをやればよいのである。なんで科学哲学者の、しかも栄養学の門外漢でしかない僕がプロパーの代わりにテキストを作って自分のサイトで公開しなくてはいけないのか、というわけである。

ともかく日本の栄養学は、NHK の『あしたが変わるトリセツショー』や『あさイチ』などという、身体にいいとか悪いと言っては特定の食材や商品の販促みたいなことをやってる番組と比べて五十歩百歩だという印象がぬぐえない。かといって、フード・ファディズムのような議論をまともなレベルで(つまり、深刻ぶった左翼の大騒ぎではなく)やるにしても、それを成立させるための下地がそもそも欠落していて、やはり「家庭を守る主婦」に押し付けられている状況が続いてしまっていると思う。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る