Scribble at 2026-09-10 07:57:27 Last modified: unmodified
数週間前から早朝にウォーキングする習慣を続けていて、最大酸素摂取量のような値も日毎に改善しているようだ。筋肉痛がいつまでも抜けないのは困るが、30分ほど体を動かし続けるのだから仕方ない。ちなみに「ウォーキング」というのは有酸素運動でなければ意味がないので、単に歩くのではなく、殆ど競歩に近い運動だ。大股で、ペースも速い。よく中高年のトレーニングを促すウォーキングの本などには「会話できないくらいの速さ」などと曖昧なことを書いている場合が多いけれど、端的に言えば 1 km を10分ていどで歩くスピードだと思えばいい。もちろん、街中は特に信号があるから、信号で何度か止まると10分を超えると思うが、こういうことはタイムを競う意味などないので、おおよそでペースは分かってくるものだ。
で、早朝に限らず歩行や散歩やウォーキングで注意したいのが、実は車ではなく自転車である。特に、早朝に自転車へ乗って走っているような人々というのは、早い時間帯からの勤務で出勤するか、あるいは深夜の仕事から帰ってきている場合が多い。ただの買い物や自転車のトレーニングなどで朝の4時や5時に走るような人間は滅多にいないからだ。すると、どちらの事情にしても基本的に彼らは急いでいるし、しかも早朝に歩行者がいるとは思ってもいない場合が多く、更には警察すら巡回していないと高を括っている者もいるため、やはり日中に比べて、(1) 走行するスピードが速く、(2) 信号無視する比率が更に高くて、更には (3) 周囲に注意を払っていないリスクも高まる。ということで、いちばん危険なのは横断報道である。上のイラストはかなり不正確だが、自転車に乗っている人の多くは、主婦だろうと高齢者だろうとチンピラ外国人だろうと純粋ネトウヨ日本人様だろうと、交通法規を殆ど理解していないし守る気もないので、信号がどうであれ平気で横断歩道に突っ込んでくる。しかも、いくら監視カメラが増えたとは言え、目撃者も少ない時間帯なので、事故が起きると助けてもらえる人も周囲にいないので、自転車による轢き逃げに巻き込まれるリスクが圧倒的に高くなる。なので、注意すべきは絶対に車ではなく自転車なのである。車のドライバーは、教習所での訓練や通常の習慣などによって、簡単に言えば「左右確認」が癖のようなものになっているが、自転車に何十年も乗っていようと、左右確認を習慣にしている人は殆どいないので、横断歩道や交差点へ突っ込んでくるときに、左右のどちらか一方にしか注意を払わず、逆側は見てもいないような人が非常に多い。自分が自転車に乗っているくせに、まさか早朝に人が歩いているとは思っていないからだ。こういう連中は、交差点を曲がってきて「自分に」危害を加える車がいないかどうかということしか考えておらず、「自分たちが」危害を加える可能性がある歩行者がいないかどうかなど考えてはいない。
早朝に歩くときは、絶対に自転車の前に出てはいけない。あいつらは絶対に停止しないからだ。
長らくロード・レーサー型の自転車(このタイプに乗る人間は自転車を「バイク」と呼ぶ。そもそも英語でも "bike" とは自転車のことであり、「バイク」をオートバイの意味で使うのは日本人だけだ)に乗っていた一人として残念なことだと思うが、ついに日本では自転車が「車両」としては理解されずに歩行や車椅子の加速手段としてしか理解されないまま普及してしまったので、歩行するのに法律が殆ど必要ないのと同じく(しかし「関係ない」のとは違う。歩行者でも信号無視すれば咎められるし、信号を無視した結果として事故が起きたら過失を責められる)、自転車の走行にも法律やルールなどないと錯覚して育ち、そして死ぬまで道路交通法の一つも知らないという人が続々と増えていった。
このような民度の国においては、交通の安全を目指す政策として選択できる手立ては、恐らく自転車を免許制にすることしかないと思う。もちろん、いまとなっては難しいことだし、脊髄反射的に左翼どもが文句を言い始めるであろう。いわく、「民衆の自由が失われる」だの、「免許を取得するためのコストを(実は自分たちが経験したこともなければ見たことすらない貧困を抱える)プロレタリアートは払えない」だのと、「エア正義」(実感や実証を伴わない、テレビのドラマみたいな貧困に喘ぐ人々の妄想から起きる正義感だけで語られる減らず口のこと)をソーシャル・メディアで旗のように振って抵抗するような人々が出てくる。もちろん、堕落した凡人はそういうのに感化されるから、自転車の免許制なんて僕が生きているあいだには実現しないだろう。ならば、僕が生きているあいだの安全な生活を守るためには、他人が乗る自転車を全て警戒するという方針で生活するしかないのだ。これでは、おそらく誰か他人は事故に巻き込まれるとは思うが、そんなのは知ったことではない。われわれ自身が最低でも死ぬまで安全に暮らせればそれでいいのだ。それが嫌ながら、自分たちもかような口先左翼どもを説得するなり無視して、自転車の免許制を自分のブログで提案したり、それを提案する政治家に票を投じるといった行動を起こすべきなのである。無頓着な人間に無自覚なまま被害を与えられることほど、われわれのような存在(少なくとも凡庸さのリスクを知る者)にとって忌々しい結果はない。なにせ、相手に悪意はないのだから。その凡人どもの凡庸さによって、同じ凡人ではあれ他でもない僕自身が被害を受けるなんてことは認められない。