Scribble at 2025-03-11 08:22:52 Last modified: unmodified

このところ、「頭が良く見える振る舞い方」といった主旨の本が出ていて、中身はともかく他人から馬鹿にされたり侮られたり差別されないための処世術がサラリーマンにウケているらしい。少し前なら、似たようなトレンドの本として「空気を読む」とか、あるいは逆に biodiversity を背景に空気を読まないといった主旨の本がよく読まれていたであろう。

これに関連して、僕としては珍しく、社会学者としての岸くんが何年も前に言い放った一言に感心したことがあって、それは彼が「人間関係でしかものを考えられないのか、おまえたちは!」と憤っていたことだった。まさしく僕も彼の言うとおりだと思う。もちろん、人間関係は大切だ。しかし、海外では西洋の「神と我」、あるいは中国の「天と帝」といった関係だけで物事を考える習慣が成立してから、他人との距離を置くような思想が出てきたのに比べて、日本ではそのような対比が成立しなかったせいもあって、常に誰か他の人との関係から思想が組み立てられるようなところがある。なので、明治時代の文芸作家たちがあれほど「個人主義」の確立に悩んだのは、何か別のところに事情があったのではないかと思える。

ともあれ、それは一概に陋習や偏見や劣等の思想であるとは限らず、文芸や道徳や政策あるいはビジネスに一定の有効な影響を果たしてきたとも言えるだろう。だが、逆に多くの弊害も生み出してきたと考える社会科学者もいよう。1980年代頃から若者のメンタリティを強く規制してきた「恋愛至上主義」や、その反動とも言える昨今のインセルやミソジニーなども、結局は同じ思想の異なる表出にすぎないともいえる。だって、インセルだろうとミソジニーを自称していようと、もしラノベよろしく女の子の方からどんどん寄ってきたら拒絶するやつなんて本当のところいないだろう。恋愛だけが全てであるかのように振る舞っていようと、あるいはその逆であろうと、僕に言わせれば自己欺瞞でしかないからだ。そして、それは人間関係で全てが解決されるというセカイ系の妄想でもあり、岸くんが憤っていたのとたぶん同じ理由で、僕も(過小評価してはいけないが)錯覚だと思う。

したがって、このところ書店で見かける「頭が良く見える」なんていう、面接対策みたいな本が目に付くという事実は、そういう本を出版したり書いている側の人々も含めた「病理」であるとも言える。僕はいちおう国公立大学の大学院博士課程に進んで学問に足を突っ込んだと言えるていどの学歴はもっているが、別に東大や MIT にいる学生のように頭が良いわけでもないし、その自覚は生まれたときからあるので、ともかく勉強と言えば小さな課題をひたすらこなすくらいしかないと思ってきた。そういうことなので、頭が良く見えることにこだわったりしないし、そんなことにこだわらなくても成果を積み上げたら最高学歴まで進めるという実感があった。これはつまり、自分が天才だと言っているわけではないが、一定の研鑽を積んできたと言っているわけであり、適当なことをやって科学哲学やってますとか大学院に進んだなどと言っているわけではないのだ。レベルは低いのかもしれないが、やるべきことをやって日本の学歴のトップにまで進んだのである。何を恥じたり隠す必要があろうか。逆にこういうことは表明して、それゆえに責任も取るのが大人というものだと思っているので、責任を負うのが困るというならともかく、単に「隠してるけど、本当はできるやつ」だと思われたいなどという自意識だけで責任を逃れるような態度は望ましくないと思う。

結局、ここで取り上げている本が勧めているような自意識プレイあるいは処世術が語られ続けているのは、Z 世代だろうと新人類だろうと、しょせん凡人は凡人でしかなく、自分を何者かであるかのように他人に見せることには限界があるという誠に明白な事実に由来しているのであろう。逆に言えば、このような本を手にとって深謀遠慮さを振る舞ったところで、ガキはガキである。それこそ社会という名で人間関係を成立させている仕組みの中では、当人がどういう態度や言動をとっていようと、彼らにあてがわれている属性に付随する相手の偏見や思い込みを払拭することは非常に難しい。そして、文化人類学や社会学の知見においては、そういう属性への判断を優先する態度は社会防衛の知恵でもあり、同じ程度の凡人が為しうる最低限の判断だとも言える。したがって、かような本で描かれる態度が功を奏するのは、実はそれを実行している相手が人並み以上に相手の言動を公平かつ冷静に理解できる人々の場合だけなのであって、逆にこのような本は人間関係ばかり気にしている人をターゲットにしていながら、実は幸運な人間関係の中に置かれている人にしか効果的に働かない処世術を教えているのだ。そして、皮肉にも公平かつ冷静な相手になら、もともとそんな処世術は不要だったのである。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る