Scribble at 2024-01-14 21:43:16 Last modified: 2024-01-14 21:54:04
ここでは何度かご紹介した京都の至成堂書店だが、既に2019年の9月10日に閉業したという。
「至成堂の思い出」(https://www.stromateis.info/zib/shiseido.html)
至成堂書店を知ったのは、大阪経済法科大学の1年生の頃だった。教養の授業で哲学を履修したときからお世話になった、メルロ=ポンティや科学技術論を専門にされていた中澤義和先生から「洋書を物色するのであれば、京都にこういう本屋がある」と教えてもらった。それまでは心斎橋筋の北端にあった丸善くらいしか洋書店は知らなかったので、いちど足を運んでみようと決めた。実際に京都へ行ってみると、梅田から阪急京都線で烏丸まで行って、地下鉄に乗り換えて北大路である。他に何か特別な目的や用事でもなければ、わざわざ来るようなところではなかった。地下鉄の駅を上がると、がらんとした北大路の交差点があって、いまは無くなっているようだが、確か交差点の南東角にマクドナルドがあったように記憶している。そこで一休みしてから、昼過ぎになってようやく初めて至成堂書店へ足を向けた。烏丸通を南へ下り、右手に大谷大学があるのを確認しつつ、いまは大垣書店の本社になっているビルのあたりの交差点を西へ渡ると、レンガの壁面をした小さな細長いビルがある。これが至成堂書店だ。ちなみに、あらためて Google Maps (Street view) で付近の様子を見ると、これも様子が変わってしまっているように思うのだが、確か隣の建物の一階に喫茶店があって入った記憶がある。実は、何度目かにあらかじめ何も確かめずに至成堂書店へ訪れたときに、社員研修のためとかいう理由で店がお休みだったことがあって、仕方なく喫茶店に入った記憶があるからだ。もちろん、そのまま帰るのはもったいないので、東へ歩いて京大農学部の付近にある古本屋に立ち寄って出町柳から大阪へ帰ったのである。
さて、正確な回数は全く覚えていないが、合計で10回以上は足を運んだと思う。ほぼ毎年1回は足を向けて、平均すると5万円くらいは買った筈だ。初めて訪れたときも、これは時期によって場所が変わっていたかもしれないので、あくまでも僕が訪れていた頃の話だが、英米哲学の本は階段で2階へ上がったすぐのところに棚があった。最初に棚の本を眺めたときは、新刊書なのか古本なのかも分からないような本の状態だったのだが、それでも自宅に所蔵していた翻訳書の参考文献ページで書名を眺めたことしか無いような「古典的」と言ってもよい本がたくさんあって、文字通り圧倒された覚えがある。
その頃の洋書というと、ここでも何度か御紹介しているが、ハードカバーだと10,000円前後で、ペーパバックだと4,000円前後といったところだ。初めて行ったときに買った Michael Tooley の Causation: A Realist Approach は、ハードカバーで13,000円弱だったのだが、これは即座に手を出した。たぶん、こんなの関西どころか日本で当たり前のように新刊書として置いている書店なんてここくらいしかないからだ。もちろん神保町で働いていた1980年代末頃も、北沢書店や日清堂書店という神田の洋書店で買い物はしていたが、これもご承知のとおり北沢書店は古書店なので殆ど新刊の哲学書はないし、日清堂書店はラテン語とギリシア語のいわゆる西洋古典文学の書店なので、どちらも分析哲学や科学哲学の新刊書なんて置いてないだろう。そんなわけで、初めての強烈な印象があって、それから毎年のようにバイト代を貯めては至成堂書店へ通うようになったわけである。
店の方とは、何度か記憶に残っているやりとりはあった。既に書いた話だと思うが、Galen Strawson の The Secret Connextion を注文して、入荷するまでに1年もかかったこととか(当サイトで公開している「ヒュームの関係概念」の殆ど書き終わりになってから入手できたので、あまり論説には反映されていない)、あるいは一度に買った量が8万円くらいと多かったからか、「公費ですか?」と尋ねられたりしたこととかだ。しかし、こういう逸話も、僕らが旧制高校のジジイの話を読んでいたのと同じような感じで、いまの大学生には読まれるのだろう。
もちろん、いまはアマゾンがあるのだけれど、MD で昨年に書いた通り、実店舗の書店にはアマゾンのような EC サイトよりも優れた点がある。これは、単なるセンチメンタリズムで言っているわけではない。たとえば、僕が全く関心を払っていなかった話題とか分野の本が、自分の読みたい本の隣に無造作に置かれていたりすることだ。購入履歴や閲覧履歴、あるいは売りたい方の事情で見せるような、recommendation なんていうクズみたいな機能など、必要なときでなければ邪魔なだけなのだ。それよりも、実店舗の書店には興味がないのかあるのか分からない本も目に入るという良い加減の偶然がある。そして、棚を少し移動すると、裏の棚には Husserliana やハイデガー全集がこれでもかと並んでいたし、奥には Loeb Library がある。そりゃ、アマゾンに比べたら遥かに高額ではあるから、ホイホイと買っているわけにはいかないわけだが、中にはアマゾンで販売されていないような本もあったと思う。学生さんだと気づいていない人も多いと思うが、アマゾンでは新刊書であっても全てエントリーされているわけではないのだ。したがって、何年も経ってから OUP や Cambridge UP や MIT Press のサイトで「こんな本が出ていたのか」と驚くこともある。そういう意味でも、どちらかでいいという極端な話ではなく、それぞれ活用すればいいと思うのだが、少なくともどちらも得意な分野とか品揃えがあるのだから、どちらかが事業として続かなくなるというのは誠に残念な話だ。