Scribble at 2026-07-24 15:15:56 Last modified: 2026-07-24 18:28:57
MIT メディア・ラボでは初めての博士号を持っていない所長として色々な活動を行った伊藤氏だが、例のジェフリー・エプシュタインという大富豪の幼児性愛者(性犯罪で逮捕された後に不審死)からの献金を前科があると知りながら匿名扱いで処理したといった色々なことが明らかになって、アメリカで全ての職を追われた。既に生成 AI などに質問しても、彼の公的な立場としての瑕疵や過失や不正は明白であり、また本人もエプシュタインに性犯罪の前科があることを知っていたと証言しているため、もうアメリカで公的な立場に就くことは不可能であろう。
だが、東アジアの辺境国家には「禊」とかいう原始宗教の秘術があって、過去に何をやっていようと金や人脈さえあれば問題にしないという、まことに都合のよいウンコ理屈があるため、日本を嫌ってアメリカに行った人物であろうと、帰ってくれば簡単に千葉工業大学の学長にまで抜擢されるようだ。そして、講談社からもこうやって再び著書を再刊してもらえるわけである。もちろん皮肉を込めた書き方ではあり、伊藤氏がアメリカで徹底的な社会的制裁を受けたことは当然だろうと思うし、この国は不正や(金と人脈のある)前科者に甘いわけだが、しかし彼が幼女を凌辱したわけでもなし、ペドのキチガイ成金から金を受け取っていたことは恥じるべきだとしても、社会的に抹殺するほどの罪ではない。したがって、僕も彼の論説を取り下げずに当サイトで公開し続けている。
ちなみに、それは僕が「モヒカン族」(念のために説明すると、人間性や人格と、それから書いた内容や議論とを独立に評価するスタンスのこと。素人はデリダの「テクストの外にはなにもない」といったフレーズを引き合いに出すわけだが、哲学者にそんな素人解釈が通用するわけもなく、哲学的な才能もない無知は少し黙ってろと思うね)だからではない。愚劣な人間の文章は、どれほど文学として美しく、学術としてインサイトフルであろうと抹殺するべきだ。それで人類の芸術や技術の発展が何年か遅れようと、どのみち誰かが代わりになるものだからである。科学哲学者としての真面目な意見だが、アインシュタインだろうとニュートンだろうと、仮に彼らがいなかったとしても、誰かが代わりに同じ業績へ到達しただろうと思う。これを否定することは、彼らの事績が single chance つまり二度と起こりえなかった偶然によってもたらされた「奇跡」のようなものであるという宗教を語っているのと同じであって、キリストをアインシュタインに置き換え、ルカ書を相対論の教科書に置き換えているだけの妄言であろう。
なんにせよ、そういうわけなので、こういう本をありがたがって読むような情弱サラリーマンとか渋谷あたりで JavaScript をコーディングしたり iOS のガラクタみたいなアプリを開発してる小僧どもが何を言っていようと、そして内容としてざっと眺めた限りでは妥当な議論が幾つか見受けられようと、別に世の中を変えるような内容でもなく、抹殺するほどのことはないと思うが、このていどの雑な文章しか書けない人物は「ビジョン」を政治家や投資家に向けて語っていればいいのであって、さっさと消えていくのが自然だろうと思う。僕がこの本を古本屋で投げ売りされているのを見つけて手に入れたように、新刊書として現在の若者に読まれることはないという現実は、それなりに妥当な結末だと思わざるをえないわけである。(なので、アマゾンにリンクもしない。)