Scribble at 2026-10-30 09:02:22 Last modified: unmodified
僕は1980年代の後半にデリダやフーコーといった現代思想の著作に影響を受けたり、それこそ浅田彰氏や栗本慎一郎氏といったニューアカの人々が書いたり喋ったりしていたことにも影響を受けながら社会思想や哲学にかかわり始めたから、日本にポストモダンの思想が普及していった状況をリアルタイムに受け取っていた世代だ。しかも、僕は1980年代の末には東京の出版社にいたから、当時の東京での様子を体感している。
そういう経緯があって、このところ SNS で一部の人たちが使っている「言説」とか「テクスト」という、ポストモダンの著作物や思想が流行していった頃に使われ始めた用語を一般名詞のように使っている人たちに、やはり強い違和感を覚える。
正直、いまこれらの言葉を使っている人たちのニュアンスでは、「言説」というのは単に主張だとかレトリックだとか言い回しのような意味しか持っておらず、フーコーが込めていたような、言語表現を規制する社会的なコードだとか権力という強いニュアンスは殆ど感じない。かろうじてフェミニストの人たちが使う場合は、分かってて使ってる人がいるのは(立場から言っても)分かるが、SNS で文芸評論家ぶって気取ってものを書いてる三十代くらいの小僧にそんな背景は全くない。
また、「テクスト」についても、記号の意味という中心を仮定したり目指したりしない、ネットワークにおいて僕らの解釈だけにさらされる(よって、テクストの外部というものはない)ような対象を言っているのに、SNS で喋ってる連中は単なる出版物という意味もしくは、せいぜい「作品」という言葉を気取って言い換えているだけだ。