Scribble at 2026-08-13 08:58:19 Last modified: unmodified

添付画像

この記事の内容について取り上げたいわけではないから URL は追加しないでおく。だが、この記事のタイトルである「iPhone Ultraのサブディスプレイは四隅が角丸か〜保護ガラス画像が投稿」という表現について取り上げておきたい。具体的には、「~が投稿」という体言止めのことだ。もちろん、「体言止め」などという用語があるほどだから、これは昔から日本語学としても広く使われてきた表現の方法だと見做されていて、こういう用法を好んで多用するマスコミでも「「体言止め」を再び考える」というページで取り上げている。NHK 内でも「くり返し『体言止め』を使うことがあるため,それではせっかくの修辞効果が薄れてしまうことも多い」との自覚があるらしい。だが、放送局や新聞社のコンテンツは多くが下請けへの丸投げになってきているため、そのように高尚な話題としての是非や用法を NHK の職員が論じていても下請けでは小手先のテクニックとして濫用されていると言ってよい。こうして、かつて本多勝一氏が『日本語の作文技術』という本で「笑っている」と表現したような、稚拙で安易で滑稽な表現が多用されることとなる。もちろん NHK の番組で毎日のように使われる「浮き彫り」という表現などは、濫用の度を越えて失笑する他にない。

確かに、余韻を残して受け手に想像を促す効用を期待して使えるのは事実だろう。そして、想像が正しいかどうかを実際に記事を眺めたり報道番組を視聴して確かめさせるというフックとしての使えるので、体言止めは新聞記事の見出しやニューズ番組のヘッドラインに多用されてきた。これもこれで、社会の言語という意味での成熟度によってこそ成立する「お約束」なのであろうから、必ずしも由々しきことだとばかりは言えないのかもしれない。

でも、実際には「識字率神話」などと言われることがあるように、なるほど文字を全く読み書きできない人(全盲・非識字者)が極めて少ないのは事実だと思うが、国際的なスケールで調査されている読解力などのテストでは、おおよそ3割の人々に論理的・構造的な文章の読解力がないと判定されている。すると、体言止めというものは名詞などの後に続く表現を推論させたり想像させることで読む側の期待や疑問をかきたてる効果をもたせる表現なのであるから、正しく推論したり想像するどころか、そもそも体言止めの表現を目にしても何かを推論したり想像すらしないという人が一定の割合でいるとなれば、やはりしかるべき表現で補う必要があろう。

たとえば、新聞で「政府は今年度の大規模な投資を先送り」という見出しだけを見て、実際にはどうなのかという疑問を感じて本文を読むことをしない人々がいて、こう書かれると「(規模はともかく)投資を先送りにしたのだ」としか読み取らない人たちがいるわけである。でも、本当は「『大規模な投資』は先送りにしたが、小規模な投資は続ける」のかもしれないし、あるいは「大規模な投資を先送りに『するかどうか検討を始める可能性がある』」のかもしれない。本文にはそのあたりが詳しく書かれているのだが、こういう可能性に気づく余地がないという人がいるのだ。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る