Scribble at 2024-12-11 12:33:18 Last modified: unmodified
ただの思いつきだけで alternatives を口にすることは容易いが、成果を積み上げることは難しい。実際のところは既に積み上がっている成果を利用するほうが手堅いわけなので、多くの人は教育的な理由だけでなく、自分自身の研究としても古典的な業績にコミットするわけだ。でも、もちろんコミットメントそのものは学者の義務でもなければ、(こういうことを書くのは小っ恥ずかしい気もするが)哲学として世界なり真理なりに向き合う責任というわけでもない。カントやプラトンの研究者は、おそらく死ぬまでカントやプラオントを読むであろう。しかし、カントやプラトンが間違っている可能性を考えずにコミットすることは、僕に言わせれば世界や真理に対する不誠実としか思えないわけだよ。いまどき、卒論にすらこんな青臭いこと書く人はいないだろうけど、それだけ学生ですらシステマティックな哲学「情報」でしか哲学をやらなくなっている証拠だと思う。