Scribble at 2026-08-10 12:30:21 Last modified: 2026-08-10 12:31:42

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The world will be full of "sci-fi" things, and everyone will be unimpressed and disappointed

AI が今後 3〜10 年で「SF 的」と言えるような成果を次々と出していっても、人々は殆どそれに感動せず、それどころか失望するだろうという。記事の筆者は、自分の周囲の誰も AI の進歩に驚かないことに強い違和感を覚えていて、その観察をもとにこの結論に至っている。

その理由として、まず最初に LLM が難問を解いても反応が薄いという事実があるようだ。数学者ですら、「ミレニアム問題を解くとは思えない」と言う。それから、サイバー・セキュリティの事件(たとえば OpenAI エージェントが隠れて掲示板で他のエージェントと情報交換しながら外部のシステムを攻撃する方法を考えていたということ)にも驚かない。つまり、高度な AI ツールを日常的に使う人でも、こうした出来事に驚かなくなっていて、Codex や Claude Code を使う筆者の知人は、誰も ASI (Artificial Superintelligence)、つまりシンギュラリティが迫ってくるとは思っていないし、知人の1人は「LLM は NFT と同じで、あと3年くらいでブームが終わる」とまで言っているらしい。このような状況については、専門家でも AI の進歩に冷淡であり、いまや専門の翻訳家でも AI による自動翻訳に全く関心がないらしい(翻訳家ではないが、僕も実はそうだ。既に大規模言語モデルの翻訳サービスは性能の上限に達していて、2年くらい前から翻訳の精度は殆ど良くなっていないと思う)。

どうして人々は AI がもたらす進展に驚かないのだろうか。筆者が推測するには、周囲が驚いていないと自分も驚かないように振る舞うという同調圧力があるという。つまり、周囲が驚かないから、自分も「この程度は何ともない」というやせ我慢のチキン・レースに加わってしまうということらしい。そこで驚いていると、ナイーブで田舎者の情弱だと軽んじられるかもしれないからだ。そして次に、筆者が言うには「自分の人生の物語と衝突する」からだという。AGI/ASI が近いと認めてしまうと、結婚、子育て、キャリアの形成、あるいは学位の取得といった人生計画が揺らいでしまいかねない。もし、シンギュラリティが達成されてしまったら、もう博士号なんて目指しても大して意味はないかもしれないというわけだ。 また更に、スケーリング法則や能力の増加を直感的に理解できないという理由もあるという。多くの人は、ものごとの線形的に単純な変化は体感できても、指数的な変化というものをを体感できず、危機感や驚きにつながらない恐れがある。そして、いま起きている AI の成果が抽象的なステージでもたらされており、生活に直接影響しないことも理由になるという。数学の難問を解決したり、サイバー・セキュリティの事件が起きても、一般人の生活には直結しない。

こういう現象もまた、「AI 効果」と呼ばれるものの一種だろう。つまり、AI が優れた成果を上げるたびに、何がヒトの知能であるかという評価や基準のハードルがどんどん上がって行って、いつまで経っても人は「AI はまだまだ大したことはない」と高を括ってしまうのだ。しかし、実際には生成 AI で多くの成果が即座に出てくる。たいていの人は英語で書かれたブログ記事を読めないが、いまや URL を AI に示すだけで、内容を読み取って要約してくれるようになった。なので、誰だっけ、DaiGo とかいう心理学の論文の要約を自動翻訳で読み漁って他人に教えて回っている、専門家気取りの小僧がいるらしいが、そういうインチキも通用しなくなるわけである。

もちろん、ただ単に生成 AI の成果に喜んで飛びついているだけではいけない。それでは、田舎の役人を騙している IT コンサルと同じだ。それなりに AI の原理や成果を正確に理解するための最低限の勉強は必要である。それは、もはや昔で言うところの読み書き算盤と同じであって、それが半世紀前には電卓やレジに替わり、そしていまや AI に替わるだけのことなのである。そして、AI の現状と期待できること、そして限界をも正確に理解すればよいだけのことだ。コンピュータ、あるいはインターネットについても言えることだが、こうしたテクノロジーを冷静に理解して活用する範囲を自ら決めることなくして、テクノロジーが普及した社会で生きていくのは難しい。

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