Scribble at 2026-10-05 20:18:18 Last modified: 2026-10-05 20:19:50

もう、かれこれ半年近くはアマゾンで洋書を買っていない。最後に購入したのは、

Deep Learning with Python だった。最初にアマゾンを利用し始めた2003年頃だと、だいたい毎月に10冊くらいは購入していたし、しかも安売りのではなく5,000円前後の標準的な価格のペーパーバックを買っていたから、考えてみれば大学院に在籍していた頃よりも洋書を買っていたと言える。院生の頃は、せいぜい半年に一回くらいの頻度で、京都の至成堂書店さんへ行っていたくらいのものだったからだ。特に修士時代は関大の千里山にある図書館が竹尾先生のおかげで多くの雑誌や蔵書を揃えていたから、買う必要なんてなかったという事情もある(なので、博士課程で神戸大に移ったときに、図書館で購読している雑誌の少なさに困惑させられたものだった。もちろん、雑誌のバック・ナンバーを読むために、神戸大のドクターになったあとでも関大の図書館へ通っていた)。

さて、これまで何度も書いてきたように、アマゾンは洋書に大量のゴミが出品されるようになって、検索の機能も全く改善されないため、簡単に言えばウインドウ・ショッピングのような使い方が出来なくなった。しかも、書名が分かっている書籍を決め打ちで検索して分かってきたことなのだが、意外にアマゾンは洋書の点数が思ったほど豊富でもなかったのだ。Springer だろうと Cambridge University Press だろうと、書籍がそもそも電子書籍のデータとしてすら登録されていないというケースがどんどん増えて、これは極めて皮肉なことなのだが、海賊版を集めているサイトの方が新刊を即座に取り揃えていたり、既刊の書籍でも豊富なラインナップを誇っていたりする(もちろん、そういうサイトから書籍をダウンロードしてはいけない、と思う)。

そういう経緯や事情に加えて、アマゾンの書籍はもう買おうと思えるような価格帯ではなくなっている。O'Reilly Media から出ている入門書の類が平気で1万円を超えているし、通俗的なビジネス書でもペーパーバックが5,000円を超えるなんて価格設定だと、それこそ丸善とか紀伊国屋の為替レートで買っているのと変わらない(ぜんぜんアクセスしないから知らないが、おそらく現在の丸善や紀伊国屋だと更に洋書は高額になっているのだろうな)。先進国で暮らす、毎日の食費に困るほどの家計でもない収入の世帯ですら、もう洋書は価値に見合った価格だとは思えないほどの高額商品である。

そして、それに加えて現在の状況だ。すなわち、オープン・アクセスの論文だけでも夥しい数が公開されているし、数学や情報科学の分野ではアメリカのプロパーが無償で大学のテキストや Springer などから出版している書籍をオープン・アクセスなりフリーで公開している。arXiv を始めとするプレ・プリントのサイトだけでも大量の文献が読めるわけで、専門の研究者としてではなく、アマチュアのレベルで学んだり研究する範囲や水準であれば、もう書籍や論文を購入する必要は殆どなくなっていると言ってよいだろう。それでも買う必要があるのだと、プロパー自身が説得力をもって言えなくなっている時代でもある。これに加えて、生成 AI があるていどの情報をもっているから、実際には間接的に海賊版のサイトを利用しているのと変わらないのだろうが、なんだかんだ言っても丁寧に質問を繰り返していけば、ざっと目を通したのと変わらないくらいの情報は手に入ってしまう。

もちろん、これからどうなっていくのかという問題はあろう。これについては、僕が生きているあいだだけどうにかなればいいと言っていられるかどうかすら分からないほど、トレーニングに使うテキストが枯渇してくるのではないかと思えるし、実際のところ生成 AI で吐き出したゴミのようなブログ記事やメディアの記事や翻訳が続々と表れてきている状況を見ると、あと数年もすれば、WELQ バイトや note ユーザのような馬鹿が書いた文章を大食いしてゴミみたいな記事を吐き出すようになった生成 AI が、オンラインでのエコー・チェインバーを作ってしまうのではないかという憂慮はある。そのような趨勢に抵抗する一助のつもりで、こういう文章を書いてはいるものの、もちろんこういう僕の文章もまた「ゴミ」の一つにならないとも限らない。

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