Scribble at 2023-07-09 15:16:53 Last modified: 2023-07-09 15:17:33
本日は久しぶりに本を図書館へ返却してきた。今回は全ての本を返却してきて、これで図書館から借りている本はなくなった。思えば、連れ合いと運動不足を解消するためとして図書館のカードを作り、そして自宅から西区の大阪市中央図書館まで徒歩で1時間ほどの距離を歩くということをやっていたのだが、あいにく新型コロナウイルス感染症の流行によって図書館が利用できなくなったり、あるいは行けるとしても行く気がしなくなったり、また行かない方がいいと判断したりで(ご存じの方は多いと思うが、公共図書館に限って咳き込んでるような老人や子供が集まってくるものだ)、ここ3年ほどは足が遠のいていたわけである。本を返すだけなら、近くの区立図書館でもよいので、わざわざ中央図書館まで行かなくなったし、区立の図書館に置いてある本というのは、どうも新刊も少ないし専門的な本もなくて、はっきり言えばうちの書庫の方がはるかに充実している。こうしているあいだに、まず連れ合いが図書館へ殆ど足を向けなくなってしまい、僕もあまり本を借りなくなっていた。確かに高価で大部の本が無料で借りられるのはありがたいけれど、そういうものを次々と消化していく必要がどこまであるかは別の問題であろう。
それから、5年以上にわたって延長したり借り直したりを続けていた、小関清明氏の『鹿持雅澄研究』をようやく手に入れて図書館で借りる必要がなくなったのも、図書館を利用するインセンティブが減退する一つの理由になった。
それでも、やはり公共の図書館は未知の著作も含めて有益な場所だし、何よりも無償で借りられるのが助かる。いまのところは自宅の蔵書を少しでも減らしていくことに注力したいのだが、ひととおり目を通してメモをとれば売り払ってもいいような本を1,000冊くらい片付けたら、また図書館でせっせと本を借りたい。そういったことを考えながら、図書館から帰路についた。ちなみに今日は天王寺区の区立図書館へ行っていた。
帰路の途中で、上本町の近鉄デパートに立ち寄ってジュンク堂へ入った。すると、歴史の棚に『土偶を読む』という本が置いてあって、隣に『「土偶を読む」を読む』という本もある。そして、この『土偶を読む』という本は、いまをときめく独立研究者の人物が考古学の謎に終止符を打つと称して著作を出して、サントリーの学芸賞を受けたものらしい。このサントリー財団というところは、もちろん科学哲学のプロパーならご承知のとおり、例の何の業績があるのかまるで分からない数学の独立研究者が手がけた雑文というかエッセイを、新世代の数学思想家による独創的な業績などど褒めあげて大々的なキャンペーンを張っていたことがある。あの、ユル・ハラリとかいう(これまた、実は歴史学者として何の業績があるのやら不明な)ユダヤ人の書いた雑な歴史の本もそうだが、そんなもん本1冊で何かが変わるなんてありえないだろう。とにかく、このサントリー財団というのは(どうでもいい話だが、僕の勤めている会社は堂島のサントリー本社の向かいにあるのだが)、むかしからセンチメンタリズムというか、木梨憲武のギャグみたいな、アルイミギャクニ的なスタンスでものごとを評価する傾向にあって、それが既存の基準とか価値観を相対化するというならともかく、坊主の素人現象学の本を賞賛したりと、とにかくトンデモに肩入れする傾向が強い。自分たちでは独立した文壇なりアカデミズムだとでも思ってるんだろうけど、簡単に言えば馬鹿なんだろうな。