Scribble at 2026-05-17 12:39:10 Last modified: unmodified

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High Scalability

ウェブ・アプリケーションやミドルウェアの大規模あるいは高度なスケーラビリティについて、ケース・スタディを掲載してきた有名なサイトは、あまりアクセスしていなかったあいだに更新が止まってしまっていた。というか、サイトが Substack か note のような、しょーもないデザインの、まったく味のない見栄えになってしまっている。もはや「廃墟」と言った方がいい。

もちろん、このようなリソースは個人の資質や財力や時間、あるいは年齢などにも依存しているのだから、どのみち永続するものではない。そもそも、この「インターネット」なり「ウェブ」という通信ネットワークの環境やコンテンツの配信システム(プロトコルやフォーマットも含めて)だって、僕はそう長くは続かないと見ている。よって、どのみちこういうコンテンツは無くなるのだから、必要に応じてアーカイブするなり、その場で利用して一定の成果として残しておくという、場当たり的ではあるが、それなりに有効な活用方法を実践することが望ましいと思っている。たとえば今なら、検索して見つけた興味深そうな論文があれば、その場で PDF をダウンロードして Gemini に取り込んで概要を作らせて、ポイントと思われる論点や着眼点や議論を、テーマごとのメモとして NotebookLM に追加していくという方法を採用している(これを「ウィンドウ・ショッピング」ならぬ「ウィンドウ・サーベイ」と呼んでいる)。

ここで立ち止まって、インターネットがそう早くない将来に次世代の通信技術やメディアによって乗り越えられるという話を展開しておこう。メディアとか通信環境というものは、それを考案する人々の人数とか、利用者の生活水準などに応じて、技術が進展したり産業として普及していく。そして、時代が下れば進展する速さが上がったり、普及する範囲も広くなってきた。これは、印刷、ラジオ、テレビ、そしてインターネットというメディアの歴史を振り返れば分かることだ。印刷物の歴史の長さは、単に多くの知見や技術の蓄積という長所だけを語っていてはいけないのであって、それだけ進展や普及が遅かったという短所についても公平に眺めなくてはいけない。それは、印刷物というものが基本的に西洋の都市にいる金持ちや貴族や坊主だけのものだったからだ。したがって歴史は長いけれど、実はそれに見合うだけの知見や技術の蓄積は無線ラジオやインターネットに比べるとスピードが遅かったわけである。これに比べて、インターネットは世界中を繋げる通信技術なので、技術や利用にかんする知見が短期間に世界中から集まる。また、利用者も中世や近世の印刷物に比べれば膨大な人数と広大な地域になるので、新しい技術を取り入れるために必要な情報や資金が短時間で豊富に集まる。もちろんだが、これも良いことばかりではなく、犯罪や戦争に応用されるスピードも速くて、その威力や影響力も大きくなるし、いまや「ルフィ」の手下となったティーンエージャーが重大犯罪の道具にしてしまうという負の面もある。

なんにせよ、こういうわけでインターネットという現在のメディアと通信環境によって、昔のメディアや通信環境とは比べ物にならない規模やスピードで技術とか知見が集まり、そして吟味されたり比較されて次の技術や理論が提案される。確かに、一つ一つはデカルトやニュートンらの業績に比べて矮小とすら言える成果だが、彼らが生きていた時代に比べて分量と進展のスピードが全く異なる。そして、現代の研究者の大半は、近世の自然科学者や哲学者のような貴族や大金持ちや(当時は絶大な権限と財産をかかえていた)坊主ではないのである。それでも、世界中から新しい知見が集約されることによって、どんどん技術や理論が進展しており、いま僕らが利用している通信環境は1980年代の「音響カプラ」でデータをやりとりしていたような旧式と見做されるようになるだろうし、理屈としても、いま僕らが利用している生成 AI の技術だって半世紀前の初等レベルも同然だと見做されるようになることだろう。僕は哲学者として「シンギュラリティ」なんていうインチキは信用していないが、技術にかかわる歴史や社会という観点での「進展」という観念を支持することはできると思う。

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