Scribble at 2026-05-28 09:07:54 Last modified: 2026-05-28 09:20:59

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※本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

こういう一文を冒頭に掲載している記事を見かけるようになった。あるいはトップ・ページにアフィリエイト・プログラムの記事があると掲示している場合もある。しかしいずれにせよ、これは広告だ。そして、アフィリエイトプログラムなどと木で鼻をくくったような言葉遣いをすれば体裁が保てたり正当化できると思っているのだろうが、これは記事の体裁で広告を掲載するという、れっきとしたダーク・パターン(インチキ)に他ならない。

更に、これは大切ことだと思うが、マス・メディアというのは昔から、新聞や雑誌、果ては書籍においてすら、こういうことをやってきたのだ。ネットでジャーナリズムやマス・コミュニケーション論の初歩すら勉強していない素人が「メディア」を名乗っているから堕落したのではなく、そもそもジャーナリズムというのは相手が権力者だろうと芸能人だろうと一般人だろうと、本質的に「覗き見」であり、本来はジャーナリズムに yellow journalism も quality paper もないのである。正義感ヅラして岩波書店などからものを書いている連中は、たまたま相手が田中角栄氏や高市早苗氏だったというだけにすぎないのだ。そして、雑誌や新聞の編集部というのは、文字数の制限がどうのと利いた風な理屈を持ち出しては、どうやって読み手を言葉で誘導するかというレトリックばかり考えている人々である。それゆえ、僕は中学生の頃から「教育に新聞を (NIE)」というキャンペーンに反対してきたのだった。新聞を読むことが日本語の運用能力や教養を醸成するなどという話は、はっきり言って嘘である。ましてやテレビなんて。みなさんの周りにも、稀にだが子供どころか自分たち親ですらテレビを観ないか、テレビそのものを自宅に置いていないという家庭があるだろう。いまや情報や事実はウェブを始めとして幾らでも知る手段があるし、そもそも映像や音声としていち早く知らなくてはいけないことなんて、実際には限られているのだ(現在の内閣総理大臣やアメリカ大統領を、いまこの時点で知らないからといって、何か生活するにあたって重大なリスクがあるだろうか?)。

もちろん、そうは言っても新聞のサイトにアクセスしたり、色々なオンラインのジャーナルや雑誌のサイトは利用している。だが、それは必要に応じて利用するのであって、毎日の何時に巡回するような仕方で実験室の猿みたいに何の目的もなく手を動かしてサイトを眺めるのではない。いわば "subscription" というのは「餌付け」の発想であって、自主的に情報源への安定したアクセスを確保するといった意識高い系の錯覚も含めて動機付けや必要性を感じるまでの感情や思考ですら、色々な状況や印象操作を使って誘導されている可能性があるという見識が必要だ。この手の、いわば「本物のメディア・リテラシー」というのを、もちろんメディア自身が拒否していたせいか、日本ではずっとメディア自体でも教育でも、あるいは行政としても普及させてこなかったと僕は考えている。そして、やっと普及が始まったと思ったら、それは単なる左翼の揚げ足取りに近いものが多かったのであった。だからこそ、日本のメディア・リテラシーにかかわる研究や啓発や教育や議論というのは、基本的に発想が偏っており、マス・メディアやジャーナリズムそのものが「客観的な」「事実の」「正確で」「公平な」「報道や記録」であるという嘘を信じて疑わないという前提に立ってしまっているのだ。

特に、現代のマス・メディアは逃げも隠れもできない「商売(ビジネス)」であって、その運営は企業としての事業なり業務というルールや慣習によって制御されるのであるから、事の善悪や軽重に応じた厳格で是々非々の基準は貫徹できない。たとえば、news value の基準みたいなものがメディア企業にあり、その基準を満たす情報を集められなかったからといって、今日は新聞を発行しないとか、ニューズ番組を放送しないなんてことは、ビジネスを営む新聞社やテレビ局としてありえないだろう。すると、紙面を埋めたり番組の放送時間を埋めるために必要なだけの「ネタ」を無理やりにでも集めては編集することが求められる。新聞を発行したり番組を放送しなければ、広告の出稿主やスポンサーから料金をもらえないからである。なので、たいていのテレビ局のニューズ番組では、どこの村で祭りがあったの、あそこでコスプレ大会があったの、桜の開花がいつになるだのという、きわめつけの瑣事雑談を延々と放送するし、たいていの新聞には大病を患った芸能人のインタビュー記事だとか、いまや新聞に終値だけを掲載する意味など殆どない株価の一覧だとか、「天声人語」のような悪文の見本と言ってもいい文章が自然の摂理であるかのように当然と掲載され続けるわけである。

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