Scribble at 2023-12-20 21:36:17 Last modified: 2023-12-21 13:28:23

ここでも何度か書いた話だが、才能ある人がそれを活かして業績を出さないのは無責任だといった話をしたことがある。でも、これは特に大学で教えている人々について言っている。なぜなら、彼らは国立だろうと私立だろうと国から一定の助成金を受けているのであり、したがってそれに見合う業績を出すのは当然の責任であろう。

これとは違って、たとえば gifted や talented と呼ばれる人々に、いくら強力な記憶力や計算力があろうと、彼らにそれだけで業績を求めるのは、昨今はダイバーシティだの多様性だのと口先では言っていながら、やはりファシズムとしか思えない。なんで辞書1冊を1日で読破するだけではなく記憶までしてしまうような能力のある人物が、平凡なラーメン屋として人生を過ごしてはいけないのか。人には、才能を(それがどれほど他人を圧倒していようと、自分の求めていたものとは違うなら)活かさない自由だってあるはずだ。人がなんであれ自分の才能とやらを有効に発揮して社会に貢献しなくては「いけない」なんてことは、キリスト教や共産主義みたいな宗教や思想やイデオロギーに凝り固まった連中の偏見でしかない。

しかし、ここをどういう経緯でかはしらないが眺めているプロパーの諸君に、そういう自由はない。少なくとも公費の補助を受けたり企業で研究職に従事しているなら、業績を上げる責任は(哲学としてこんなことを言うのは憚られるが)「絶対」である。できないなら、それを自覚できないほどのバカでもなければ、絶対に後任に席を譲らなくてはいけない。

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